ぼくらの仮説が世界をつくる/ダイヤモンド社


cork代表のビジネス本だけど、編集の仕事をしたい人、自身が創作で食べていきたい人は必読の本だと思う。
いい作品を書けば自然と読者が見つけてくれる、という幻想を打ち破る本。
hontoアプリがいくつでもしおり付けられて良かった。

その話とは直接関係ないところだけど、ここは引用しておきたい。

「余談ですが、自信があるように見えるのは、「自分を信じていない、という態度をまわりの人に示す必要がない」と考えているからでしょう。自信がない様子を周囲に見せるのは、失敗したときに批判されないようにするためです。挑戦前から自己保身をしているのではないでしょうか。そのような態度は、誰も幸せにしません。」

カレー沢さんみたいにお金になる自虐もあるんですが、ここで言っているのはそういうんじゃない言うのも聞くのも時間のムダな自虐のことですな。

我が意を得たり!
小説の聖典(バイブル) ---漫談で読む文学入門 (河出文庫)/河出書房新社


奥泉さんの十八番の話の一つに、北関東の田舎に住んでいるのにシティーボーイである「赤頭巾ちゃん気をつけて」の主人公に自己同一化・感情移入している友人というのがあって、「近代文学」の構造がそういう錯覚を生み出す、という風につながっていくのだが、ここでは逆に感情移入は必ずしもなくてもいい、という話をしたい。

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)/新潮社


既に公開されてしまっているが、「STAR WARS」新作の予告編が映画館で流れていた頃、冒頭で砂漠の風景をバックにタッターーーターータタターーターー、タタータ、タータタータッターーーという少し寂しげな曲がかかっているところで軽くウルッと来た。
新作が砂漠の星から始まっているのは、当然第一作に対するオマージュなのだが、また主人公の境遇の共通性、辺境の星でいつかそこから出たいと思っているのに出られる当ても無い、ということの重ね合わせにもなっている。

第一作の世界的なヒットには、世界中の田舎でくすぶっている若者たちの共感もかかわっている、というとらえ方もあるくらいなんですね。

スター・ウォーズ エピソード4 新たなる希望 リミテッド・エディション [DVD]/マーク・ハミル,ハリソン・フォード,キャリー・フィッシャー


考えてみれば、この第一作を見た頃の自分自身がそういう若者、というか田舎の中学生の一人だった。
人口15,000人ほどのほぼ畑と団地だけの街で暮らし、果たして将来どうなるのか、全く見当もつかないような日々を送っていた時に、やってきたのが「STAR WARS」バスに乗って隣街の映画館に見に行きました。
それで、ルーク・スカイウォーカーに自己同一化・感情移入したかというと全然そういうことはなかった。

いや、当時は全く自分が置かれている境遇がどんなものかわかっていなくて、あれ、おれってルークみたいなものだったんだね、と気づいたのは都会で暮らすようになってから。
だから、新作の予告で感情が動かされたのは今の自分にとっての後付けの認識による。

じゃあ、感情移入していなかったからといって映画がつまらないかったかといえば全然そんなことはなかった。別世界の話として楽しめた訳です。

おそらくそれは「近代文学」とは異なる「物語」とか細部の描写の力なんでしょうね。
よつばと日めくり2015/12/23

去年の予想は外れて姉から妹にバトンタッチ。

来年は「日めくり」無いそうなのですが、再来年はどうなるのでしょうか。

しかし、やはり2007年の一番最初のがパンチ効いてるよね。

「よつばとひめくり2007」1223
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今年度から〈文学とサブカルチャー〉を担当しなくなり(元々来年度からカリキュラム変更で科目自体無くなるのだが)、「芸術」と「見世物」の境界線の話とか講義ではしなくなったが、いろいろなところでそのへんにかかわることに出会ったりはするのだった。

今年は「芸術」の「見世物」的なところ、興業としての見せ方について面白いものを見たりしたので書いておこう。

まずはヨーロッパの「芸術」の一つクラシック・バレエを代表する「白鳥の湖」。
しかし、ダンサーには役が与えられ、ストーリーや登場人物の感情を踊りや音楽を通して伝えていくわけだが、同時に彼等の個人の技術を見せるという側面がある。

今回初めて全幕通しで見たのだが、「白鳥の湖」の場合は、第3幕の舞踏会が様々なダンスの陳列会という印象だった。王子と白鳥と悪魔をめぐるストーリーということであれば、第3幕そんなに長い必要はないのだが、あそこはダンスを見せることに主眼を置いて設定されているのだろう。

そして、日本の「芸術」の一つ人形浄瑠璃文楽の一作である「玉藻前曦袂」。
浄瑠璃語りと人形使いと三味線の音楽の組み合わせで登場人物の感情やストーリーを伝えていくわけだが、同時に三つの芸それぞれに個人の技術を見せるという側面がある(さっきと同じ言い回しで申し訳ない)。

演じられるのが珍しい演目だということだが、最後の「化粧殺生石の段」では殺生石の回りに現れる様々な職業の人々の姿が時にシリアスに時にコミカルに演じ分けられていた。九尾の狐をめぐるストーリーとしては全くエピローグ的なものに過ぎないのだが、特に人形使いの技術の見せ場として設定されているのだろう(同前)。

バレエや文楽が「芸術」に祭り上げられる前の、あくまでも見せるものだった頃の片鱗を見ることができた感じでおもしろでしたよ。
http://www.gundam-the-origin.net/world/02.html
http://bakuman-movie.com/
http://rwby.jp/
http://vivianmaier-movie.com/

大シリーズのOVA2巻のイベント上映、ジャンプマンガの実写化、アメリカで作られた日本のアニメやゲームに影響を受けたセルルック3DCGアニメ、死後注目されたアメリカ人女性についてのドキュメンタリーの4本。

いや、あらためていろいろな映画がありますね。

しかし今年は写真を撮る人の映画を2本見たことになる。写真についての映画。
写真を撮るということ、メディアとしてのアイデンティティを再確認しないとならない状況なのでしょうか。

同様にマンガについてのマンガも多くなってきて、こんな風に映画化されるのはマンガジャンルも頂点を超えたってことなのかもしれませんね。
2があるかどうかはわかりません。

今月は映画のサウンドトラックのCDを二枚買った。

「心が叫びたがってるんだ。」オリジナルサウンドトラック


いわゆるBGMと、作中で高校生たちが上演するミュージカルの中で歌われる曲は別のCDになっていてわかりやすい。
ただ、後者に拓実が音楽準備室でアコーディオン弾きながら歌った玉子の歌が入っていたのが残念。順ちゃんはあれでズキューンとなったはずなので。
その潤ちゃんのHRでの初歌唱も入ってなかったなあ。

新宝島 豪華初回限定盤(映画「バクマン。」BOX)


こちらは映画のテーマソングCDの特別バージョンにサウンドトラックCDが特典として付いている。
サウンドトラックの曲名を記した冊子のタイポグラフィが凝っていて、CDというモノを買う醍醐味があった。
ただ、BGM34分余りが一繋がりにワントラックになっているので、あ、マンガの原稿描いている時のペンの音がスクラッチ音になって曲になっていくヤツ聞きたい、と思ってもすぐに聞けないというのが残念。
もちろん、トラックを切らないことには主張があるのでしょうね。

大島渚映画のDVDが全集で出た時にチャプタが全く切られていなかったのを思い出しましたよ。

飼育 [DVD]/三國連太郎,沢村貞子,中村雅子


忍者武芸帳 [DVD]/小沢昭一,山本圭,小山明子


これは、最初から最後まで通しで見るのが映画で、自分の作品を切り刻んでほしくないという監督の意向のためだったはず。
講義の中で部分的に引用するのに困ったものです。

その点、紙の出版物というのはフレキシブルなメディアですよね。
5原作を続けて読んでいるとわかりにくいけれども、アニメ化されて分けられるとマンガのオリジナル部分が複数のジャンルを利用して作られているのがわかりますな。



一つ目は主君の死に乗じて実権を得ようとする悪家老と、主君の血をひく兄妹を守り家老の手から逃がそうとする若侍と、恋仲の姐御の活躍を描いた時代劇。もちろん、主君の子がただものではないことも描かれますよ。




これはお姫様だけどね。



二つ目は故郷を離れ母親と引き裂かれて暮らす少女の身に次々起こる哀しい出来事を描く少女小説。原作単行本10巻の途中で終わったけれども、少女の物語としては適切ですな。



これは短篇集だけどね。

三つ目はピカレスク・ロマンなんでしょうね。

らしい。

昨日書いた映画のサントラを入手した。




これは、オリジナルのミュージカルを上演しようとしている高校生達の話のわけで、劇中劇で高校生達が歌う歌も入っている。
ミュージカルと言えば、この方のように「突然歌い出すのについていけない」という人も多いのだが(作中の高校生の一人もその旨の発言をしていたりもする)、最近のお子さん達はデイズニさんのおかげでそういう違和感も少なくなっているんじゃないですかね。

映画の企画自体は昨年以前なので、ミュージカル的なアニメが日本で大ヒットするなんてことは予測してなかったはずですが、もっと後に企画されたら描き方も違っていたんでしょうかね。


この前、まだ十分観客に見られていないのではないか、と書いていた映画が、その直後に興行収入が10億円を突破したというニュース

入場者数が74万4901人ということは、77万枚用意した入場特典がまだ残っているのも当然かも。

アニメ映画も含めた若い人対象の映画の場合、大人が1800円払って見るということが少ないので、観客数の割に興行収入が伸びにくいということは当然ある。実際この映画も一人あたりの平均入場料は1400円を切ってる。
そういう条件では善戦なんだけれども、こういう例がよい前例になるかどうか、特典が余らないでもらいたいところですよね。

そういえば、特典目当てで何度も同じ映画を見に来させる商法というのが少し話題になっていたが、あれは自分自身に対する言い訳として機能するので、そんなにひどい話ではないのかもしれない。そのお金で他にどんなことができたか、とか考えなければ、ね。
http://project-itoh.com/#/empire/top/
http://aokihagane.com/
http://bolshoi-babylon.jp/
http://patlabor-nextgeneration.com/movie/about_dc/index.html
http://kishibenotabi.com/top.html
http://www.kokosake.jp/

結局9月に見たのは、8月に見た分と一緒に書いた一本だけ。
10月は待ってたのが一気に上映されたので、いつもより多く見ております。
生身の人間が出て来るのが3本、絵の人たちが動いているのが3本。

後者については、後になるほど良くなっていった印象。
特に最後に見たのは、もっともっと話題になっていいと思う。
上映6週7日目で77万名に用意された特典がまだ残っていたわけですが、これは街外れのショッピング・モールの映画館だったからですかね。

ちなみに、6週目特典のフィルムは病院で目頭をおさえる順ママン。

「ここさけ」特典

吉田羊さんのファン向けでしょうか。

この映画、いや実に映画として作られていて感心したのですが(その点『Febri』のインタビューはとても納得しました)、どういう観客層に向かって宣伝したらいいのかが難しいな、と思いました。
いわゆるオタク層だと「リア充」が出て来るオレ等には関係ない話と捉えられてしまうかもしれないし、予告編で流れていたこういう映画を見る人たちだとアニメだというだけで選択肢から外れてしまうかもしれない。

実写化されて人気の若手俳優さんたちが出演していてもおかしくない、広い層に訴えかける映画なので、何とも惜しいと思ったのでした。
もしかしたら既に動きがあるのかもしれないけれども。

Febri (フェブリ) Vol.31/一迅社


で、生身の人間が出て来る3本についてはそれぞれに満足。
ただ、3本目はフリデリック・ワイズマンならどう撮っただろうと思ったし、ようやく本来の長さで見られた4本目については、誰もが思うだろうように「最初からこれ見せとけよ」、という感想のみですね。
そういえば、5本目もけっこうはしょってそう。もっともっと廃棄物を撮ってるけど使えなかったんじゃないかしらん。

さて、今年もあと2ヶ月、まだまだ待っているのがあるので、けっこう見る予定。とはいえ、例年慌ただしくなる11月、12月なのでどうなることやら。