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前期終わりで慌ただしかったり、映画以外で出かけていたりで、先月は一つ見ただけ。
でも濃ゆかったので「一つで十分ですよ」。

詳しい話はまた後日。
続く(たぶん)。
前回まだ咲かないのか、空気読めよ、とここで毒づいたら、気まずかったとみえて翌日の月曜日に一輪咲かせてくれました。

7月25日のアサガオの花

・・・・・・アサガオ、〈重い月〉読んでるの?

その後木曜日に旧アサガオが咲き、
7月28日のアサガオの花

昨日土曜日には色違いのシンアサガオが咲いていた。
7月30日のアサガオの花

実は土曜日は三種揃い踏みだったのですがね。
7月30日のアサガオの花

「豊年だ! 豊年だ!」

で、今日も旧アサガオが三輪咲いていた。
7月31日のアサガオの花

今後はどんどん咲いて行くので、何か変わったことがあった時だけ報告します。

現場からは以上です。スタジオにお返しします!
アサガオはすくすく育って、あちこちに蕾を付けた。
やはり一番生長しているも蔓の蕾が一番よく育っている。

7月22日のアサガオ
一昨日はこんな感じで。

7月23日のアサガオ
昨日はこうふくらんで。


今日は咲いているだろうと思って期待していたら……


7月24日のアサガオ

まだでした。

種まきから一週間毎にここで報告しているのはわかっているんだから、今日咲くべきだったんじゃないの?

え? アサガオはそんなこと知らない? そうなん?
先月のホルターの結果をふまえて、今後の治療のために病院へ。

血液検査の後、心電図を測ったら不整脈が出ているのがばれて(当たり前だ)、また電気ショックで治療を受けた。
次また出たらもう一度カテーテルだと脅されて(正当な処置だろ)帰宅。

電気ショックの際に血をぬいたのと逆の側に麻酔の点滴刺したので、両ひじの裏に丸い絆創膏貼っている状況。二つの穴の男である。

そういや、こんなに電気流されたら体の中の聖石アマダムが変質して新たな力を得られそうなのだが、それを確認する術が実はないのだった。
だからといってグロンギ語叫びながら襲いかかって来なくてもいいですよ。まにあってます。
関西は今日7月18日梅雨明けしたと見られるそうです。
まあ、「梅雨」という概念自体が人間が考えたもの、所詮人間の匙加減なので断言してもよさそうなのですが、なんか自然任せ風に言うんですね。

確かに水道水がぬるいったらないですよ。
ようやく蕾がついたので、今週中には一輪くらいは咲くかも。

アサガオの蕾

一昨年は7月18日頃に花が咲いているので、それよりは遅くなりそうですな。
image

今までで一番遅かったのは2013年の8月13日ですが、それよりは早そう。
IMG_20130813_123840.jpg

そういえば伸びすぎて行き場を見失った蔓はひょろひょろと横に絡んでいきました。
伸びた蔓

それと育ってくると2種類の葉があるのがわかってきました。
2種類の葉

おもろいね。
奥泉さんの新作を読んだ。

この小説は三人称的な一人称で書かれている。語り手は小猫型のロボットであり、しかもそのロボットがいない場所で起こったことも(ある方法で)語れるようになっている。

この猫が時々、「殺さずに取り出すのが手間なのは分かるよね」とか「そうなるのは仕方がないよね」といった話し言葉というか聞き手への語りかけ口調で、時に宇宙論めいた話を語るので、なんかQBっぽい感じがして困ってしまった。CV加藤英美里さんですな。

『群像』8月号の大友良英との対談での自作解説によると、

「猫という語り手を出していますが、基本的には三人称の語りで構成されていて、とりあえず猫という語り手を設定した方が書きやすいという程度の意味しかない」

ということになるのだが、しかし多くのSF小説で人間によって作られたもの(蒸気で動くコンピュータとか屍者とか)が語り手・書き手になっているということをふまえているのも確かだろう。
(もっとも例にあげた小説では、描かれている出来事の結果として彼ら?が語り手・書き手になり得たという種明かしが結末でなされているのだが、この小説ではそれが最初から明らかになっているという違いはある)

最近読んだSFシリーズ(一作目二作目まで刊行されている)でも宇宙船の「属体」が語り手で、宇宙船の認識力を持つゆえに彼女自身がいない場所で起こったこともシームレスに語ることができる。
それが一人称でありながら三人称的多視点的な表現を可能にしていると同時に、小説内での他の登場人物に対する彼の優位性になる、という二重の働きを持っている。

「家族百景」でのテレパシー能力の設定が、全知の語り手が登場人物になって小説内に入りこむとどうなるか(結局その全知性は足かせでしかなかったりする)という実験をしていたように、SFは人間や宇宙についての思考実験だけでなく、小説の表現についてもいろいろなチャレンジをしていたりするのが興味深いところだよね。
今回の芥川賞候補作のうちの一つが電書化されていたので読んでみた。短いのですぐ読めます。

読んで連想したのはこれ

イスラム革命後のイランで様々な抑圧に抗いながら生きる少女の姿が描かれている。そうとう厳しい話なんだけれども、状況自体のアホらしさがコミカルに描かれている。主人公と仲良しの婆ちゃんがいい感じです。
その点では小説とマンガ(バンデシネ)の表現のあり方自体の差が出ているのかもしれない。

ちなみに後者は作者自らが監督してアニメ化されております。
アニメは深夜の空港で主人公が自分の過去を振り返るところから始まっているので、より似ているかも。
空梅雨っぽい気候の中、さらに伸びています。

8週間後のアサガオ


一番伸びてるのは、もう網を越えています。どこに行くつもりなんだ?
網を越えたアサガオの蔓

巻きつくのは風頼みだったりするので、網の無い方へからみ先を探したりもします。
支柱に巻きついた蔓

しかし、その3時間後にはほどけていたり。気まぐれです。
からみつくのをやめたアサガオ

気まぐれコンセプト 完全版/小学館
ぐんぐん伸びて、くるくる巻きついています。

種蒔き7週間後のアサガオ

なぜか横向きの画像ですが、右側が下。今までの画角ではぜんぜん収まりません。

花はまだまだ先かな。