先々月は本当に映画館が遙かな感じになったので、一回休み。

先月はあまり遙かではなく4度出かけた。

 

 

1度に2本見た時が二回あったので、計6本。

日本のオリジナルアニメが1本、テレビアニメの劇場版が3本(うち2本が「Fate」関連というのがいまどきである)、ハリウッド制作の実写SFX映画が2本という内訳。

 

四本目を除いてすべて戦う場面があるのだが、どうしても強さや速さの表現のしかたが似てしまうのはやむをえないのか。わかりやすくするために、ものすごい数の敵(やその一部)の攻撃を避け、かき分け、叩いて、攻撃を逃れる感じの場面をどうしても作ってしまうんだろう。「シン・エヴァ」ですらそうだったからねえ。

 

その中で、ラットキャッチャー2さんは痛快だった。もちろんあれも新しい訳ではないのだが、多くは悪役の戦い方なので新鮮な感じだった。あ、いや、彼女はドロボウさんだった。

しかし、今回見た映画のうちの一つについての批評を読んでいて、かつてとは別の意味で現実と虚構の区別がつかない人たちが多くなっているらしいと思った。

この批評自体はいろいろ腑に落ちるいい批評だったのだが、その中で意識されている大方の感想のようなものについて、ということになる。

 

かつては、現実を虚構のように捉えてしまう、たとえば現実には明確な正義や悪も無いのに単純な二元論で捉えてしまうとか、ゲームのようにリセットの効くもののように現実を捉えてしまう、ということ(実際にそんなやつがおるのかは知らん)について区別が付いていないと言っていた訳だが、今は虚構についても現実のように正しい振る舞いがなされなければならない、と考えている人たちがいるようなのだ。

だから、現実に照らして、主人公が法律を犯していたり、状況を悪化させかねない不適切な行動を取っていたりした時に、非難したり、より適切な行動を書き連ねたりするようなことになる。

 

昔もそういう人もいたのだろうし、マンガやアニメがより多くの人に読まれ、見られているということや、多くの人がネットを使って発言できるようになったということも関係しているとは思う。

ただ、それ以上にマンガやアニメに関して言えば表現のリアルさが上がったことが関連しているように思える。もっと戯画化された単純な線で描かれたキャラクターだったり、省略されたりパターン化された背景だったりしたら、それほど虚構に現実を照らそうという気にはなれないのではないか。だってマンガだから、だってアニメだから、で済まされたデタラメさやリアリティの無さが見過ごされなくなっているということなんだろう。

 

そういう現実に照らした正しさを基準とする見方は、フィクションではないけれども新型コロナ禍において「サラメシ」とか「水曜日のダウンタウン」で、道行く人にインタビューする企画が無くなっていることとも関連していそうである。感染リスクがある以上、できる限り接触は避けた方がいいとクレームを言ってくる人を恐れているんだろう(ニュース番組の「街の声」は何人くらいに聞いているかわからないが、たとえば「水ダウ」の仮説検証の場合は何十人の人に聞きました、と出さなければならないので厳しいのだろう)。

だってバラエティ番組だから、とはいかなくなっているわけだ。

 

ネットで発言することが目新しくて調子に乗っている人の多い今だけの過渡的なものなのか、今後も「○○警察」的な蔓延っていくのか、少し気にしておくことにしよう。