いわゆる三人称の小説で視点を限定する場合、視点人物以外の心理描写が困難になる。

そのための工夫ということなのか、島崎藤村の「春」では「~という目付きをした」という言い回しが頻出する。「~」の部分はかなり長い心理が入るのだが、一応本当にその人物がそのように考えているらしいと思わせる書き方になっている。

少し時代が下って、有島武郎の「或る女」になると、「~という表情をした」という同じような言い回しがあるものの、それがその人物の心理の間接的な描写なのか、視点人物である葉子の自意識なのかが微妙になっている。

この間の小説はどうなのか、そして「或る女」以降は?