■所在地 神奈川県横浜市港北区小机町 ■遺構 堀・郭 ■城のタイプ 平山城 ■築城者 上杉氏・笠原信為

 

城は、永享の乱(1438 〜1439)の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされています。太田道灌によって攻められた記録も残っています。道灌は、約2か月をかけて落城させたとされています。その後、廃城となるも北条の支配下となると北条氏綱の手により修復されて、家臣の笠原信為が城主として配置されて、小机衆が組織されました。天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、無傷のまま落城し、廃城となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(1)空堀、(2)西曲輪の空堀と土橋、(3)空堀、(4)空堀、(5)空堀、(6)空堀、(7)西曲輪の模擬冠木門、(8)西曲輪の虎口、(9)東曲輪の櫓台、(10)土塁上のに設置された道

 

第三京浜道路によって城の西側が削れているのが残念ですが、新横浜駅の近くでこれだけ見事な空堀遺構が残るのは、素晴らしい。とくにそれに付随する竹藪が風情があり別空間のようで美しく癒されます。2つの大きな曲輪があってどちらが主郭か議論つきることがないが、自分は、案内板のとおり西の曲輪が主郭だと思います。これだけの素晴らしい遺構ながらも市や県の史跡文化財の指定すらうけていなのが驚きです。