史跡めぐりの記事です。今回は、三重県亀山市加太にある鹿伏兎城(加太城)です。山道が薄いので毎回、迷いますが、今回も迷いました。三重県下山城で珍しく石垣が使われている城です。

 

鹿伏兎城(かぶと)

鹿伏兎城は、亀山城主・関盛政の四男である鹿伏兎盛宗によってて正平(1346~1370)の頃に築かれました。最初は、牛谷城と呼ばれましたが、鹿伏兎氏七代定好のとき修築して鹿伏兎城と呼ばれるようになりました。定好の子定長が、将軍足利義晴に白鷹を献上したことから、白鷹城とも称されるようになりました。天正11年(1583)に起きた織田信雄と神戸信孝との跡目争いでは、鹿伏兎定義は、信孝方に与したため信雄方の羽柴秀吉の軍勢に攻められ落城しました。

 

 

 

 

 

 

 

 


(1)鹿伏兎城の石垣、(2)菩提寺の神福寺、(3)鹿伏兎氏の墓所、(4)虎口、(5)鹿伏兎城の石垣、(6)土塁、(7)井戸跡、(8)土塁と櫓台

 

前回、訪れた時は、神福寺から道なき道の山を直道しましたが、今回は、インターネットで紹介されている西に外れて線路越える行き方で進みましたが、また山中で迷ってしまいました。なかなか一人での攻城ですと心細くなる城址です。城としては縄張りは小さく標準的な城ですが、唐突にある石垣のみ見るとうれしくなります。