史跡めぐりの記事です。今回は、愛知県岡崎市西蔵前町にある西蔵前城です。徳川四天王の一人、本多忠勝生誕地です。民家の敷地内に碑があるので入りずらい場所です。

 

西蔵前城(にしくらまえ)

徳川四天王に数えられる本多平八郎忠勝の誕生地です。本多氏は松平二代康親に仕えて以来、代々殊功をあげました。祖父忠豊・父忠高の時代には蔵前に居住し、天文17年(1548)忠勝はここで生まれたとされています。「ただ勝つのみ」という願いをこめて名付けられた本多忠勝は、永禄3年(1560)大高城攻めで初陣、それ以後生涯で57回の合戦に出陣したが、ただ一度も負傷しなかったといわれています。家康の家臣の中でも抜群の戦上手であり、桶狭間の戦いから大阪冬の陣まで家康とともにすべての戦を戦い抜き桑名10万石を与えられました。現在この地は建てられている記念碑は大正4年に子孫である本多忠敬氏によって建立されたものです。

 

 

 

 

 

(1) 本多忠勝誕生の碑、(2)城址付近の様子、(3)本多忠勝誕生の碑遠景、(4)青木川と遠景

 

自宅の敷地内に本多忠勝誕生の碑があるのはすごいですね。昔は、番犬がいてよく吠えられていましたが、ワンちゃんはいませんでした。遺構はありませんが、なんとなくこんもりとして城としての立地にはふさわしい場所です。城から東側の場所に新屋敷という地名があるのでそちらが屋敷だったと思います。