史跡巡りの記事です。このブログ書き込み中は、まだ緊急事態宣言中なのでまた近場の城です。そろそろ史跡めぐりの記事飽きたなぁ。イベントや甲冑の記事、久しぶりに書きたい。今回は、守山崩れで有名(?)な名古屋市守山区にある守山城です。

 

守山城(もりやま)

築城時期年代、創建者不明。大永6年(1535)連歌師宗長がこの城を訪れ連歌の会が盛大に催されたと伝えられる。天文4年(1535)、松平清康(徳川家康の祖父)は、軍を率いてこの地に布陣。尾張攻略を図ったが、家臣の阿部弥七郎に殺害されました。その事件を「守山崩れ」といいます。その後、織田信光が城主となっていますが、織田信長より譲られた那古野城に移ると、代わりに信光の弟の信次、さらに信長の弟の信時が城主となりましたが、桶狭間の戦いの後、廃城になりました。

 

 

 

 

 

 

(1)土塁の上にある城址碑、(2)主郭にあたる宝勝寺、(3)土塁と竹藪の中にある空堀、(4)土塁、(5)城址碑

 

主郭にあたる場所には、宝勝寺が建っております。遺構のない名古屋市内の城の中では、これだけの分厚い土塁が残っているなら素晴らしいと思う。現在は、竹藪で覆われてまったく見えないが、かなりの大規模な空堀の遺構が東西に残っている様に見えます。