■所在地 石川県金沢市丸の内 ■遺構 櫓・門・石垣・堀・郭 ■城のタイプ 平山城 ■築城者 佐久間盛政・前田利家

金沢城は、加賀一向一揆の拠点の尾山御坊があった場所で、天正11年(1583)佐久間盛政が、小立野台地の突端部を利用して築いた平山城です。その後、加賀国を領有した前田利家が、加賀支配の拠点とすべくキリシタン大名の高山右近に縄張を依頼して加賀藩百万石の居城にふさわしく大改修しました。江戸時代は、度重なる火災を経験しつつも最大の外様大名の居城として機能しました。





 


 










 
 
 
 
(1)百間堀から見た石川門、(2)石川門の枡形、(3)橋爪門、続櫓、五十間長屋、菱櫓、(4)橋爪門、続櫓、五十間長屋、(5)河北門、(6)河北門と土塀、(7)菱櫓と五十間長屋、(8)菱櫓アップ、(9)本丸、三重間長屋、(10)いもり堀、(11)本丸南側の高石垣、(12)玉泉院丸庭園にある色紙短冊積石垣、(13)鼠多門、(14)鼠多門と鼠多門橋
 
リニューアル記事5回目です。訪れるたびに、広大な敷地に色々な建物が復元されていき見所が多い城です。「海鼠壁」を多用して白漆喰との調和が美しい城です。2022年現在、鼠多門と鼠多門橋が復元されて現在、二の丸御殿の発掘調査が行われて24年、着工にむけて動き出しています。