播磨の史跡めぐりの記事の続きです。今回は、姫路市内からJR姫新線に乗って50分くらいの兵庫県佐用町乃井野にある三日月藩一万五千石の陣屋の紹介です。ここは、れっきとした森家にゆかりのある地域で、森家に関連する祭にかかわっている私にとっては感慨深い地域です。

三日月藩乃井野陣屋(みかづきはん のいのじんや)
元禄10年(1697年)、津山藩森家の改易に伴って、その分家である森長俊が三日月の地に移住。佐用郡や宍粟・揖保郡の一部を含む1万5千石の藩主となりました。以後明治までの174年間、乃井野地区を城下に、政治・文化の中心地として栄えました。陣屋跡は、現在発掘調査を行なっており、堀や石垣など当時の様子が再現されつつあります。また、城下には当時の面影を残す町割りや武家屋敷が残っています。

 

 

 

 

 

 


 

(1)乃井野陣屋と水堀、(2)中御門遠景、(3)中御門、(4)物見櫓、(5)内側から見た物見櫓と中御門、(6)物見櫓の二階室内の様子


存する物見櫓は唯一現存する江戸時代の武家陣屋建築遺構で貴重で、のどかな田園地帯に忽然と現れます。水堀があって背後は山々に防御されて門は、長屋が配されてほとんど平城城郭と言っていいです。無料で拝観できますが展示物などもなかなか充実していて楽しめます。現在、奥御殿があった場所は未整備ですが広大な敷地で立派な館があったというのが推測されます。