史跡めぐりの記事です。リニューアル記事です。今回は、三重県桑名市にある九華公園となっている桑名城です。大きな揖斐川の河川に面した水城のため冬季に訪れると恐ろしく寒く、小雪降る中、凍えるように城址を散策しました。

桑名城(くわな)
城は信長の時代は、伊勢長島の一向一揆鎮圧後は、滝川一益が入城して豊臣秀吉の時代には、一柳直盛~氏家行広が入城しました。関ヶ原の戦いの後は、東海道を抑える拠点の一つとして徳川四天王の、本多忠勝が、上総大多喜から慶長6年(1601)10万石で桑名城に入封して城を大改修しました。その改修によって51基の櫓、46基の多門櫓、四重の天守を持つ大城郭を築き上げました。その後、忠勝の息子の本多忠政が播磨姫路へ転封した後、城主は松平(久松)氏が入り以後、系統は違うものの久松松平と奥平松平氏によって統治されました。









 

 

 







(1)蟠龍櫓(ばんりゅう)、(2)蟠龍櫓、(3)七里の宮の渡し、(4)本多忠勝像、(5)七里の宮の渡しから見た蟠龍櫓、(6)三の丸外側の石垣、(7)三の丸外側の石垣、(8)三の丸外側の石垣、(9)九華公園の堀、(10)天守台石垣、(11)浄土寺にある本多忠勝の墓所

リニューアル記事2回目です。城は、北東に大河、揖斐川を背に、陸続きとなる箇所に長大な水堀を幾つも配し防御効果が図られています。本丸・二の丸・三の丸の堀は、随所で曲輪内に切れ込み複雑な構造となっています。本丸は石垣が撤去されて見所が少ないですが、三の丸の石垣は、外周6割ほど現存しており見所があります。