仰っていて、その当時は「先生、すごいなぁ。」なんて思っていたけれど、自分も分かるようになり、あぁ、人の全体性は顔も身体もすべてで既に隠せなくて、それをさらけ出して生きているから責任持たなくちゃなぁとしみじみ感じます。
セッションを受けられた方のお顔は「整形」したのか?と思われるほどに変わる方もおられ、普段、人はどれほどハートを閉じて生きているかを感じます。
痛みに対して開いていないのに、喜びに対して開くことはあり得ない。
この世で実に多くの人々が、それぞれ喜びを追い求めているのに、みんな苦痛の中にいるのはその為だ。
シャンタンさんがシェアしてくれていました和尚の講話の中の1つのフレーズが飛び出てきて、そうそうと共感したのでここに書きました。
痛いのが嫌いで怖くて、スピリチュアルに開いて来ているのに自分の本当の部分を見ることが出来ない人が多いです。
それをとても陳腐な言い方をすると「エゴ」でくくられてしまうのでしょうが…
そのエゴは今出来上がったものではなくて、もう、過去世含め、今世での成育歴、そして環境、遺伝的なものを含め、すべての要素が「あなた」という人格を作り上げているのですが、
本当の自分探し
なんてのを1万年したとしても、痛みに対して全く開いていないのに、自分がわかるはずはないのです。
なぜならば、私たちは何者でもないのですが、大きく言えば宇宙の一部、ひとかけら。
そして、宇宙は喜びで満ちているのをAmaranaは体感したことがあるのですが、となれば、私たちの本質はすでに喜び
なのでバシャールも「ワクワクすればいいんだよ。」と言い続けてくれていますが、痛みに対して開いていないのに、何がワクワクすることなのかなんてわかるわけがないのです。
よく「今の仕事は安定しているのですがワクワクしません。でも私には何か使命があるとは思っていて、それを教えてください。」などと聞かれます。
人の使命は喜びに生きることです。
決して苦しむことでも、嫌いな仕事をすることでももありません。
みんな今が何だかぬるま湯状態で生きてる感覚すら希薄なのに、怖れから選択し続ける癖をエゴが手放せないでいる。
どんどんと顔の表情は消え失せ、笑顔は無くなり、ろう人形のような冷たく硬い表情の美しくない人間、眠っている人間となり、搾取され続ける人生を歩むことになる。
以前スピリチュアルな講師をしていた所で個人セッションをしている時に「このコースをここまで受けると認定ヒーラーになれるのですか?いくらかかりますか?」的な質問をされて、私はよく困惑したものです。この質問者は何を私に聞いているのか、よくわからなくなった。そして心は少し寂しくもなった。
多分、深遠なその霊的な教えのエネルギーを受け取ってはもらえてないのはすぐに理解できました。
スピリチュアルを学ぶ以前から、その質問者にとっては自分のお仕事のツールであり、それを修了して自分はそれで働いてやってくんだという算段なのでしょう。
実際、その講師をしていたところもそれを売りにしていたので私も自分の学びが終わると同時に辞めました。
霊的な学びをする場ではなくなっているのですね。
目覚めてゆくということは、ハートが開いてゆくということです。
そして、閉じていたハートを再び開いてゆこうとする時に痛みが伴わないはずがなく、その痛みは自分以外の人と共有することは出来ない、自分だけの体験なのです。
しかし、陣痛を経ないと赤ちゃんに対面出来ないように、自分の痛みも自分がしっかりと向き合ってあげなくては真実を生きてゆくことは本当に難しい。
和尚はその講話でこのように言っています。
ひとつは、正直であること、真実であることから始めるといい。
偽りや、仮面や、表面を取り繕うのをやめ始めなさい。
そういうものはごく、ごく習慣になりやすい。
だから必死でやめない限り、決してなくならない。
エゴとはそのような自分で作り上げた仮面、マスクです。
痛みとしっかりと向き合ってきた人の笑顔は本当の笑顔となり、周りの人をも癒します。
目覚めている人の目はしっかりと開き、そこに迷いがありません。
これをすればこーなるからこれはやめておく、なのでこれをしたらいいのかな?
などと言う迷いが無くなってくるからです。
まずは自分を取り繕うことをやめて、真実を言葉にしてゆくことからしか始まらないのです。
これから本当に分かれてゆきます。
本当の人間と、人間のようなロボット人間とに。
自分のハートに正直でいてください。