いじめ。 | 苫小牧ではたらく社長のブログ

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北海道の苫小牧市で「便利屋」と「デザインオフィス」と「リフォーム屋」を運営している社長のブログです。

ワイドショーをみてたら「いじめ」について報道していた。



私は、大なり小なり「いじめ」ってどこにでもあると思う。



もちろん私の学生時代もあった。



いじめる側は悪口を言ったり、口をきかなかったりしていたのだと思う。

(実際には、当時私もあまり気にしていなかったので詳細は覚えていない。。)



ある日、トイレにいったら「いじめ」られている生徒が複数人に囲まれていた。

「いじめ」ていた側の複数人は一斉に私を見た。



最初は、「なんかあったのかな?」と思った程度で知らん顔で用をたした。



だけど、雰囲気がただ事ではないと思ったので用をたしたが、しばらくその場に「ふり」をして会話を聞いていた。



すると、完全に言いがかりをつけ肩をどつくなど暴力的な事になってきた。

私は「やばい」と思い注意した。

(この時、はじめていじめだったんだと知った。)



すると、逆に「何、カッコつけてんだ!」と殴られた。。。



そこからは彼らと喧嘩だ。



いじめられていた生徒を助けようと思って始まった事だが、もうそんな事はどうでもよくなった。



自分のプライドをかけて、ただ喧嘩した。



その後、「いじめ」は無くなった。

(きっと、「いじめ」ていた側はまた私と喧嘩になるのが面倒だったのだと思う。。。)



しかし、今はいじめた側もいじめられた側も仲良しだ。



未熟な子どもだからこそ、自分以外の人間を否定し自分の存在価値を確かめたりする子もいるんだと思う。



だから、どこの学校でも大なり小なり「いじめ」はあると思っている。



「いじめ」があるのと同じように、勇気ある正義感強い生徒も必ずいるはずだ。



先生に報告するか、仲裁に入るか、同級生で話し合ってとめるとか手法はたくさんあるが、勇気ある生徒の力が必要だと思う。



ただ、学生当時は確かになんかカッコつけてるとか、いい子ぶってると言われると嫌だったし、どちらかというと不良と呼ばれる方がカッコいいと思っていた。



だからカッコつけるつもりは無かったが、私は当時そんな事より嫌だったのは「弱いものいじめ」だったのだ。



それも複数人数で一人によってたかって!!(怒)



喧嘩は1対1で自分より強いやつに向かっていくべきだ!!

強いやつは堂々としている!!



そういう思いがあったから、卑怯な1人対複数人だったからなおさら許せなかった。




きっかけはどうあれ、あの時行動をおこして良かったと思っている。



「いじめ」を注意すると逆に「いじめ」の対象になる可能性は確かにある。

当時も学生ながら気付いてはいたと思う。



だけど、自分の正義を曲げるのは「いじめ」られるより屈辱だと思ったのだ。



私はバカだったので良かったのだと思う。

賢い子は逆に「いじめ」られるリスクを考え、見て見ぬふりをするだろう。



でも、きっとあの時注意していればって後々後悔する事になるはずだ。



今となっては私は「いじめ」について何もできないかもしれないが、各学校にいるであろう勇気ある生徒達が立ち上がってほしいと思う。



評論家の皆さんは「いじめ」を無くすには・・!とカッコいい事を言っているが、大人の社会ですらパワハラやセクハラなど表現の違う「いじめ」があるのだから子ども達の社会だけ「いじめ」を無くすのは難しいと思う。



クラスのいじめ問題もできれば子ども達の間で解決して成長してくれるのが一番だ。



しかし、未熟な子ども達だけでは解決できない場合もあるので、ここに来れば安心だと思える最後の駆け込み寺のような場所を作る事が我々大人にとって必要な事だと思う。

(いじめ問題を隠蔽するとか、生徒に我慢しろなんていう事はあってはならない!!)



ふだんは社会問題など書かないが、「いじめ」の報道を見て胸が締めつけられた。



自殺した子は本当に辛く苦しかっただろう。

悔しい思いもあっただろう。

大切に愛情いっぱいに育ててきた、その子の両親の気持ちは計り知れない。



考えれば考えるほど涙が出てくる。

怒りの感情も出てくる。



本当に切ない。



2度とこのような不幸な事が起きないよう願うばかりだ。



昨年の震災の時、あれほど互いを思いやり、助け合う事ができる日本人なのだから不可能ではないはずだ。



我々の宝である子ども達に責任世代の大人が見本となる背中を見せたいものだ。



つい感情的に書いてしまった。



志高く、正義に生きよう!四つ葉