術後は、カテーテルの穴が塞がらないとか微熱が続くとか小さなトラブルがあったものの、それらは外科的な要因であり、体制に影響なかった。そのうち縫合のためのホッチキス(環状線しょぼん)も取れた。退院までのカウントダウンは始まっていた。

相変わらず腹筋は痛かったけど、トボトボ歩け、半笑いぐらいはできる様になった。


その頃、なぜか無性にイタ飯が食いたかったオイラは、担当看護師サンにオススメの店を聞いた。

ある日、看護師kサンから、
「外出許可取れるよー。もう大丈夫やろ?本屋とかイタ飯屋とか行って来たら?」
と言ってくれた。
マジかいな!kサンあんた天使やラブラブ!
喜んで許可を取り、病院の昼飯を止めた。目指すは紀伊國屋及びサルバトーレクォモ。手軽でおいしいよドキドキ、とkサンが教えてくれた店だ。

環状線の階段がきつかった。電車の振動が腹筋に響いた。不自由さはあったが、約1ヶ月ぶりの外出を楽しく過ごした。

回復してるとは言え、以前の様に満足に動くことはできず、本屋を出る頃には夕飯近くになっていた。

初回の外出としてはこんなもんやろ…とイタ飯は諦め、551で焼売を買って地下鉄に乗り込んだ。


病院に帰ると、夕方の担当看護師サンに聞かれた。
「なぁ何食べたん?」
『んー551。時間なかってんや』
「ふーん。また次の機会やなラブラブ


……夜勤の看護師サン。
『イタ飯行かへんかったらしいやん。』
「何に時間つかってんな」『また行けるよ。オススメの店紹介するね』
入れ代わりイタ飯の話題と慰め。どうやら、イタ飯に行けなかったことで精神的にまいっている的な引き継ぎだったようだ。




あのー




…551で大満足なんすけどガーン
手術も終わり、苦痛に耐えながらも歩ける様になると、談話室とかでタムロしてる人達と会話するようになった。


入院していたフロアは手術をする患者ばかり…つまりはロボットダンサーか候補生である。
合言葉は
「どうですか?」
『痛いですねー』。
病気談議に花を咲かせた後、家庭・仕事・趣味、しまいにゃ半生まで話してくれる。
二度と会えへんやろう安心感と手術を受けた者同士という一体感からか。



I氏は飲食店経営。肝臓を切除した者同士、よく話した。これを機に休業するらしい。自慢はハンバーグと料理のボリューム。

T氏は大手乳製品製造会社の元役員。人事畑。自身でよく勉強されており、病気のコトを教えてもらった。
腫瘍は転移しており、首や鼻のカテーテルが生々しい。


I氏は元雑貨卸会社の営業。御歳70歳と高齢でありながらバイタリティ旺盛で「おやじギャグ」と銘打っては、全然おもんない駄洒落を連発する。
妻がパー子的な役割で、「もぉ、いややわぁお父さんドキドキ」と合いの手が入る。

これがくせ者で、手術前は適当に笑って流していたが、術後、痛くて笑えない時期には本当に苦労した。腹筋をダイナミックに切る肝臓ガン患者は笑う=悶絶であり、苦痛以外の何物でもない。
人間「笑ってはいけない」状況下にこそ、笑いの神が舞い降りることは、テレビでもお馴染みであるが、術後のそれは笑いの代償としては、ケツバット以上と思われる。

ある日の病室、私の傷痕(ホッチキスでの縫合痕)をみて、
「お、JR環状線ですなぁ、」ときた。
その頃には、対抗策を身につけてていたオイラは意識から全ての情報を脳内から消した。
が、いつも通り、いややわぁドキドキとパー子の言葉で終焉と思いきや、
(左胸付近を指差し)「ほなら森ノ宮はこの辺かいなって、いややわぁドキドキお父さん」
…一言余計やしょぼん…不意をつかれ、笑いの神に誘われようと諦めたその時、
「おばはん、笑かす様なこと言わんとけやビックリマーク
いつもは物静かで存在感ない同室者k氏(そういや術後)の悶絶しながも、確実に立腹した声。

「すみません」
謝罪しつつ凍りつくオイラを残し、そっと立ち去るI夫妻…

こき逃げかいショック!




…っていうか、この一連の駄洒落。今読み返しても全然おもんないねんけど…
術後、経過するにつれ、だんだんと身体から機材が外されていった。

やがて背中の麻酔も取れ、友達は点滴のみとなった。
…しかし…

痛いショック!
とにかく、傷口と腹筋がハンパない汗

歩くにも『うぉぉりゃゃあぁぁ』って言わんと歩かれへん。いやマジで。

主治医に聞くと、
「腹筋切ってますからねぇ…それと、運動してはったから筋肉が発達してますから、余計に痛いんですわ」

…そんなことならブヨブヨで手術したらよかったわDASH!どーん


悪態ついたところで痛みは治まらず、かといってずっと寝てるわけにもいかず、ロボットダンスみたいな動きで病棟内を歩くのでした。

まぁ、術後数日で曲がりなりにも歩けるとは嬉しいもんですわ。

ありがたや、ああありがたやニコニコ