はじめに
こんにちは、今回はポルトガルの歴史と現状についてお話しします。
ポルトガルはかつての海上帝国として、日本とも深い関わりを持っていました。
しかし、現在は領土の拡大を目指して新たな挑戦を始めています。その背景と詳細を探っていきましょう。
概要
ポルトガルは、かつては広大な植民地を持ち、海上帝国として栄えました。
ブラジルやアフリカの各地、そしてマカオなど、多くの地域を支配していました。
しかし、現在のポルトガルはその面積が日本の4分の1、人口も東京23区より少ない状況です。
この小さな国が今、どのようにして再び国土を拡大しようとしているのか、その戦略を見ていきます。
ポルトガルの基本情報
ポルトガルの面積は92,000平方キロメートル、人口は約1,041万人です。
カトリック教徒が多く、長い歴史を持つ国です。
近年、人口減少が緩やかに進んでいますが、移民の受け入れによって人口を維持しています。
また、治安が良く、住みやすい国としても知られています。
領土拡大の戦略
ポルトガルが目指す領土拡大は、軍事力ではなく、合法的な手段によるものです。
それは「延長大陸棚」の申請です。ポルトガルはヨーロッパ大陸だけでなく、アゾレス諸島やマデイラ諸島など、多くの島を持っています。
この島々を基にして、排他的経済水域(EEZ)を広げる申請を国連に行っています。
この申請が認められれば、ポルトガルは大陸棚の延長部分を自由に開発できるようになります。
これにより、石油や天然ガスの採掘が可能となり、経済的にも大きな利益を得ることが期待されています。
ポルトガルの歴史
ポルトガルの歴史は、中世にカスティリャ王国から独立したことに始まります。
1143年に分離独立し、その後は大航海時代を迎えます。
この時期、エンリケ航海王子やバスコ・ダ・ガマなどの探検家が世界各地に進出し、ポルトガルは海上帝国としての地位を確立しました。
ポルトガルはアジアやアフリカ、新大陸のブラジルに進出し、広大な植民地を持ちました。
しかし、これが裏目に出ることもありました。
港と航路の確保に重点を置いていたため、失われるのも早かったのです。
スペインが新大陸で領土を拡大し、安定した支配を築く中、ポルトガルは次第に勢力を失っていきました。
日本との関わり
ポルトガルと日本の関係は、1543年に種子島に鉄砲が伝来したことから始まります。
この鉄砲が日本に広まり、戦国時代の戦術に大きな影響を与えました。
また、ポルトガルからはコンペイトーや天ぷらといった食文化も伝わりました。
逆に、日本からは銀や金、刀剣が輸出されました。
一方で、ポルトガルは日本人を奴隷として連れ去ることもありました。
日本人奴隷はポルトガル本土やブラジル、マカオなどに送られました。
これは当時の日本の戦国時代の混乱を利用したものであり、ポルトガルの商人たちが関わっていたとされています。
ポルトガルの衰退
ポルトガルの衰退は、1755年のリスボン大地震から始まります。
この地震でリスボンは壊滅的な被害を受け、6万人以上が死亡しました。
この被害からの復興が進まず、ポルトガルは次第に力を失っていきました。
さらに、19世紀にはナポレオン戦争が起こり、ポルトガル王室はブラジルに逃れました。
その後、ブラジルが独立を果たし、ポルトガルは主要な植民地を失いました。
20世紀に入っても、ポルトガルは帝国主義の波に乗ることができず、他の列強国に遅れを取ることとなりました。
現在のポルトガル
現代のポルトガルは、EUやNATOに加盟し、西側諸国の一員として位置づけられています。
しかし、経済的には厳しい状況が続いています。
2009年から2011年にかけて失業率が10%以上、特に若者の失業率は30~40%にも達していました。
ポルトガルは現在、領土拡大の戦略を通じて、経済の再建を目指しています。
特に、延長大陸棚の申請が認められることで、海底資源の開発が可能となり、新たな経済成長の道が開けると期待されています。
まとめ
ポルトガルは、かつての海上帝国としての栄光を取り戻すべく、新たな領土拡大を目指しています。
合法的な手段を通じて、海底資源の開発を進め、経済的な再建を図っています。
ポルトガルの歴史を振り返ると、その挑戦は決して容易ではありませんが、再び世界に影響を与える国としての復活を目指しているのです。
参考動画
【ポルトガル】いまさら国土を拡大したいポルトガル!海上交易帝国の復活はありうるのか?
おわりに
ポルトガルの歴史を学び、その挑戦に触れることで、国の再建に向けた努力に感銘を受けました。
ポルトガルが再び輝く日を楽しみにしています。
最後までお読みいただきありがとうございました。また次回の記事でお会いしましょう。