あなたはこの世界に生まれてきますが、権威を持っていません。

子供たちには許されていません。親の権威を受け入れなければなりません。

年上の兄姉の権威を受け入れなければなりません。

教師の権威を受け入れなければなりません。

そして、成長するにつれて、誰もが誰か他の人の権威を受け入れているということが見えてきます。

母親が父親の権威を受け入れ、

父親が自分の上司の権威を受け入れている、

というふうに、それはどこまでも続いていきます。

 

そして、祈りを捧げるどんな日であっても、皆一緒に、それぞれの場所へ行き、

さらに大きな権威にひれ伏すのです。

そのさらに大きな権威の上には、さらに大きな権威があります。

 

戦略的に頂点まで登り詰めようとした人々は、常に、誰も自分の上に権威を持たない場所にたどり着こうとしていた、ということが分かるでしょう。それは難しいことです。

 

あなたは自分の権威を明け渡す。そして、自分の権威を明け渡した瞬間、あなたは羊になるのです。

そして、あちらへこちらへと導かれるようになります。なぜなら、あなたには権威がないからです。これが7センターの存在です。

 

ラーのレクチャーより。

 

 

ネアンデルタール人と現人類との違いは頭蓋骨の形状など外見的にも明白でしたが、

7センターの存在と9センターの存在の違いは体の外見ではなく、内側、特に新皮質と視覚野に生じた変異にあります。

そのため一見しただけでは分かりにくいですが、実際には種speciesとしてまったく異なる存在らしいです。

 

 

7センターの存在(戦略的)は視覚を通じて特定の焦点に絞り込み、そこから優位性を得ようとする情報収集をしていました。

これに対し、1781年、9センターの存在に開かれた新たな「受容的」な視覚は、

膨大な情報を刺激されたときに取り出せる形で蓄積することに長けていて、情報を「直接扱う」のではなく「取り込んで保存する」点が戦略的視覚との決定的な違いです。

 

 

ネアンデルタール人は「全部右性(全て受容的)」な種であり、環境と調和しながら生き、自然の秩序に近いあり方をしていたそうです。

象徴的な例として、ネアンデルタール人は骨製の原始的な楽器(弓状のもの)を発明しましたが、

狩猟具としての「矢」を発明したのは、戦略的で焦点を絞る「左性」の力を持つ現代人(クロマニヨン人)だった、

受容性と戦略性の本質的な違いを端的に示す例が紹介されています。

 

 

意識の進化は「5センター →7センター →9センター →11センター」という流れを辿るそうですが、

人類は11センターには到達せず、9センターの段階(約1300年続くとされる)で移行を終えると説明されています。

そのため9センターの存在を「移行の中のホモ・サピエンス」と呼び、

私たちは完全に「左性」でも完全に「右性」でもなく、両方を併せ持つ過渡的・橋渡し的な種であると位置づけられています。

この「移行形態」であることこそが、個性的で、私たちを特別な存在にしているということです。

 

 

7センターの存在は約85,000年前から1781年まで「土星のサイクル(約29年周期)」を生きており、多くは15歳で成熟に達し、30歳前後で死ぬという短命な生を送っていました。

 

(レクチャーの中では、モーツァルトがその象徴として挙げられていますが、そう考えますと戦略的思考は別に悪いものではないとも言えますね。この間に素晴らしい芸術や美術の数々が生み出されていますから)

 

 

これに対し9センターの存在は「天王星のサイクル(約84年周期)」を生きる新しい身体を持ち、成年に達するのは38〜44歳頃(天王星のオポジションの時期)とされています。

この天王星的な身体は、

30歳までの「発達段階」、

30〜50歳の「方向づけ・自己定義の段階」、

そして50〜51歳以降に「人生の可能性が開花する段階」、

という三段階を経ます。

現代社会に根強く残る「早く成功しなければならない」という価値観は、この84年サイクルの新しい身体に合わない、古い土星的な発想の名残です。

 

 

7センターの存在は自分自身を理解する正確な手立てを持ちませんでしたが、

9センターの存在にはヒューマンデザインのボディグラフという「遺伝子の地図」が与えられています。

この地図によって、自分を動かしているメカニズムを理解し、それを活かして自分の可能性を生きることができるわけです。

 

 

9センターの存在は、単に生き延びるためではなく「認知する」ためにデザインされているという点が特徴です。

右性(受容性)が開かれることで、トーンの三角形全体のバランスが得られ、

新しいレベルの認知的な気づきの可能性が開かれます。

 

 

ヒューマンデザインでは「内なる権威(インナー・オーソリティ)」と「外なる権威(アウター・オーソリティ)」という二種類の権威が語られています。

7センターの存在においては、この二つが同じ場所、マインドにあったため、マインドが意思決定と発言の両方を担うことになり、これが「嘘」を生み出す土壌になったと説明されています。

 

 

7センターの存在は生まれた瞬間から「自分には権威がない」と教え込まれ、親・年長者・教師・上司・宗教的権威・国家といった外部の権威に次々とひれ伏す構造の中で生きてきました。

このように自分の権威を明け渡した状態は「羊」にたとえられ、非常に扇動・操作されやすい集団心理を生みます。

一方、9センターの存在は本来、自分自身の権威に基づいて生きるように設計されています。

 

 

9センターの存在は「とことん利己的」であるべきというのがラーが言うところです。

これは愛や人間関係を否定する意味ではなく、自分にとって正しいことを生きなければ、結局は他者のためにも自分自身のためにもならない、という意味です。

 

 

ヒューマンデザインの地図は、意識が世界をフィルタリングする二つの経路、

身体・形態を導く「デザインクリスタル」と、

自己反映的な意識である「パーソナリティクリスタル」を、

明確に分けて示す点に意義があります。

人生の意思決定を、マインドではなく自分のデザイン(ストラテジーと権威)に委ねることによって、

人類史上初めて、パーソナリティクリスタル本来の可能性、「ユニークな存在の知覚をありのままに表現すること」に近づけるのです。

 

 

7センターの存在は同じ本を読み、同じ思想に均質化される「羊」として設計されていたのに対し、

9センターの存在は、一人ひとりが独自で差異化された「外なる権威」を表現するように設計されています。

見返りを求めずに自分自身をありのまま表現できることこそが、9センターの存在の美しさであり、

乗り物に導かれて生きることで、人と人との結びつきもより深いレベルのものになりえます。

 

 

9センターの存在であるとは、

「自分の形態の中で安らぎ、抵抗を取り除いて生きること」です。

風洞の中の流線型のモデルのように抵抗なく生きることこそが「正しさ」です。

私たちは奴隷でも羊でもなく、報いを未来に先送りするのではなく、「今ここ」でそれを生きるためにここにいるのです。

 

 

 

というのが、ラーの言うところです。