こんにちは。和久田ミカです。
私はふだん、あんまり 人と自分を比べないし、嫉妬もしないタイプです。
正直、他人に興味がないというか…(すみません)。
でも、たまーーーに 見下された(ように感じる)出来事があると 心が泡立ちます。
まあ、確かに ポンコツなんですけどね。
ふだんから「自分の代わりなんて いくらでもいる」と思ってるし、運とツキで生きてると 感じてはいるのだけど。
うーん…なんかモヤ~っとする…。
そんなとき、私の中を観察していると、
「キミに言われたくない」
という思いがあることに気づきます。
つまり、私自身の中にも「相手を見下す気持ち」があるということ。
たとえば、相手が自分の認める人だったら、不快であっても
「そういう ものの見方もあるのかもしれない」
と 頭を切り替えることができるから。
まさに、他人は鏡。
自分が映し出されるのだなあと感じてます。
私は、自分の中の「優劣」に振り回されそうなとき、パズルのピースを思い浮かべます。
パズル=宇宙です。
私もあなたも、宇宙のかけら(=ピース)のひとつにすぎない。
あの人も、あの人も。
でも、その中の ひとつでも欠けたら、宇宙は不完全になる。
ひとつひとつのかけらが すべて合わさったものが、宇宙だから。
そして、パズルのピースのひとつひとつに、良いも悪いもない。
優と劣で でこぼこになった世界を、心の中で平らにしていきます。
あの人も、私も、ここにいるだけ。
表面的な言葉や、態度に 振り回されず、その人の存在だけみる。
伝わるだろうか。
京セラ名誉会長の故・稲盛和夫氏の談話もご紹介しますね。(抜粋)
井筒俊彦さん(哲学者)は、ヨガの瞑想をしていたそうです。
その井筒さんがおっしゃるのには、瞑想をすると、自分が『ただ存在しているとしか言いようのないもの』で成り立っていると感じる。
同時に、周囲にある森羅万象すべても『存在としか言いようのないもの』で出来上がっていると感じられる意識状態になるという。
『人は〝花がここに存在する〟と表現するが、〝存在というものが花をしている〟と表現してもおかしくないのではないか』。
井筒さんは本にそう書いたそうです。
この井筒さんの本を河合隼雄さんが読み、著書の中で
『あんた、花してはりまんの? わて、河合してまんね』
と表現した。
これを岸田さんが読み、何と素晴らしいことかと感じたという話が、そのコラムに書いてありました。
なんとまあ、ほっこりとする。
アニミズムにも似た、畏敬を含んだ あたたかいまなざし。
そこにあるのは、存在だけ。
心の中に見える風景が変わります。
あたし、わくだみかしてんの。
あなたは?
たまにここに、立ち戻るだけで リセットされる感覚があります。
心を平らにして生きていきたい。
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