こんにちは。和久田ミカです。
今募集しているのは、こちらです。
さてさて。
昨日、過去記事をFacebookでシェアくださった方がおられました。
今読んでもいい記事なので、加筆して再掲載しますね。
産経新聞大阪版に 掲載されたエッセイをご紹介します。
友人の娘が仕事の転勤で他県から大阪にやってきたので、その引っ越しを手伝いに行った。
生まれたときから知っている彼女も今はもう25歳。
素直に美しく成長してくれた彼女は、若いときの友人の面影をしのばせる。
他愛もない会話を交わしながら、段ボールから荷物を取り出していた際、バスタオルで丁寧に巻かれたある物体を発見し、
割れ物かと思い優しく梱包(こんぽう)を取り去ると、そこには懐かしいおもちゃの電話が顔を出し、私は遠い過去の記憶を蘇らせた。
母親が他界したとき、彼女はまだ5歳であった。
「ママ、ママ」
と毎日泣き叫ぶ様子をご主人から聞いた私は、このおもちゃの電話を彼女にプレゼントし、
「この電話はね、天国のママと繋がっているの。ママの声は聞こえないけどあなたの声はママに届くんだよ」
と言った。
それから、彼女はことあるごとに天国のママに電話をかけ時間を忘れて話をしていたことをご主人から聞いていた。
彼女が高学年になった頃、ご主人の転勤で他県に引っ越したが、交流は続いていたもののまだこの電話を持っているとは思わなかった。
電話を静かに見つめる私の元にやってきた彼女は受話器を取り上げ
「もしもしママ、ちあきおばちゃんが引っ越しのお手伝いに来てくれているよ」
と笑顔で友人に報告した後、今でも
「産んでくれてありがとう」
と毎日語りかけていることを教えてくれた。
感謝は生死を超えて人の心を温かく結ぶ。
「あなたの娘はあなたそっくりのすてきな女性になりましたよ」
と受話器に語りかけた私の耳に、
「ありがとう。ちあき」
との友人の懐かしい声が聞こえたような気がした。
大阪府 52歳
産経新聞 2018年01月25日
いま読んでも 涙が止まらなくて、なんだか 目がはれぼったい。
親戚のおばちゃんみたいな気持ちになってしまって。
天国のお母さんに、ちゃんと電話通じてるね。
そして、鏡を見れば そこにお母さんの面影がある。
あなたのそばに、お母さんは いつもいるよ。
私はもともと、いつ死んでもいいな、と思いながら生きてきました。
死んでもいい、というか、正しくは「消えたいな」と思いながら 生きてきました。
でも、娘を産んで変わったかな。
私が死んだら 悲しむ人がいる、という事実。
娘の他にもいるかもしれないけど、娘はまだ ひとりでは生きていけないからね。
「生きなきゃ」
と思った。
娘が 自立するまでは、生き抜かなくちゃと。
娘が 大切にしてくれる私だから、私のこと 大事にしなくちゃ、
そう思い始めたのが、子育て中。
そのあと、「自分を大切にするとはなんぞや?」と 考えるようになり、今は自己受容についてお伝えしている。
コーチングやカウンセリングという側面から。
娘は思春期なので、本気でケンカするときもあったし、菩薩のような母では、まったくない。
だけど、彼女が 私に光を与えてくれたことを思うと、ただそこにいてくれることで 感謝。
生まれてきてくれただけで、ありがたい。
きっと一緒に生活できるのも あと少し。
大学は 県外に出ると言ってたから。
一日、一日を 楽しく生きよう。
いっしょにおいしいものを食べよう。
娘と暮らせることに、感謝しよう。

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