おとといから調子が悪く、昨日は高熱と頭痛で動けませんでした。
今年に入ってから、月1でこんな感じ…(T_T)

さて、病気になると 健康のありがたみが身にしみますね。
そんな私ですが、小学校高学年から いつも「病気になりたいなあ~」と思っていました。
学校を休めるからかな…と思っていたのですが、大人になって思い出したことがあります。
私は、万年反抗期な子どもだったので、そりゃー、親は大変だったようです。
でも、さすがに、病気になると おとなしくなります。
5年生のときに 母がとてもやさしくしてくれて、食べ物を食べさせてくれました。
「いつも、こんなふうだったらいいのに…」
私が 高熱で憔悴し、素直な様子を見て、思ったことなのでしょう。
私の中では、それが「病気になると愛される」と変換されてしまいました。
ちょいちょいずる休みをするようになります。
体温計を細工して、熱があるように見せれば、とりあえず 休めますから。
なぜか 母には 仮病がばれていて、ぜんぜんやさしくしてもらえず、あれれれれ~?…でしたけどねん(*^_^*)
子どもにとって、親の言葉は 大きなものです。
ささいな一言が 心に大きな影響を与えることがあります。
大人になってからの 生きづらさが、子どものときの親の一言からはじまっていた、というのは よくある話です。
私の場合は、「病気の私は愛される」というまちがった価値観を ずっと持ち続けていました。
私は 愛されたかったのですね。
つくづく。つくづく…。
あ、えーと。
これは 親を責めるものでも、勘違いしてしまった子どもを責めるものでもありません。
自分を形作っているものを知るだけで、生きづらさを ほどくヒントがたくさんある、ということです。
今は、必要のない価値観は「今までありがとう」と 手放すことができます。
本来の自分に 少しずつ 近づいていきますね。