普段、質問へのお答は しないのですが、同じような疑問を持っている方も 多いのでは?と思ったので、今日は 書いてみますね

〉自分の ココロの声に寄り添うことは わがままになることでは ありません。
↑コレがいまいちよくわからない(・_・;)
自分を大切に~なんてよく言われるけれど、大切にしたら、周りの人達に我慢させてしまうんじゃないかなぁ…なんて。
だから、自分のココロの声に寄り添った後は、どんな方向で行動したらいいのか。
あ~分からないことだらけです~(ノ△T)
ゆ~みさん、 ありがとうございます。
ココロの声に寄り添う、っていうのは 自分の感情を 素直に受け入れる、っていう意味です。
ココロの声の聴き方については、春に販売開始の EQメールセミナーに 詳しく載せるつもりですが、ちょこっと 書いてみますね。
まずね、ゆ~みさんの「自分を大切に」と私の「自分を大切に」の 意味が たぶん違うんじゃないかな~と感じました。
自分のココロの声を聴くことの根っこにあるのは、自分への愛情なのねん。
自分も大事。周りの人も 大事。
これからも いい関係を続けていきたいからこそ、自分のココロに素直に 耳を傾けていきます。
耳を傾ける、というのは 自分と対話することです。
ここからは、想像で書くので 違っていたらごめんなさい。
ゆ~みさんのコメントを拝見していると 感じるのは、「迷惑をかけてはいけない」という思いなんですね。
根っこを見ると、「こわい」っていう 恐れの気持ちがあるの。
恐れを 根っこにした行動は、とても 不安ですね。
嫌われたらどうしよう、怠け者だと思われたらどうしよう…。
自分自身より、他人の目にうつる自分の方が 大事なようにも 感じます。
でも、そのムリながんばりは 同時に まわりの評価を 求めてしまうことがあります。
「私は こんなにがんばってるのに、誰も わかってくれない」
「あの人は、なんで がんばらないんだろう、ムカムカする」
ココロの矢印が 他人に向いてますね。ココロは あまり 心地よくなさそう。
ちなみに、自分を大事にしている人の根っこは、自分への愛情だから
「がんばった~!!がんばったね!私!!!」
って ココロの矢印が 自分になります。
同じ「がんばり」でも ちがいますね。
他人にがまんをさせたら かわいそうだから 断れない、という人は、それでも いいんですよ。
他人が喜ぶ顔が 自分の喜びになり、がんばった 自分をねぎらえるなら、ココロが 喜んでますものね。
でも、ムリにがんばって 不満が わきでてくるときは、自分を優先するときがあっても いいんじゃないかん?
たとえば、何かを頼まれたとき、無下に「できませんっ」って 言うんじゃないですよ。
「~はできませんが、○○は できます」と 自分のできる範囲を 伝えたり、
相手が 困っているなら その気持ちだけでも しっかりと 聴いたり、
感謝や ねぎらいの気持ちを伝えたり。
自分が できることを できる範囲ですることだと 思いますですよ

もし、どうしても 断ることが苦手、自分ががまんすればいい、という人は「 他人がかわいそう」だと思っているばかりでは ないかも。
他人に陰口を言われたりして「かわいそうな自分」になることが こわいんじゃないかな。
「がんばらない自分」「人に迷惑をかける自分」になるのが 不安なんじゃないかな。
それにね、大丈夫ですヨ。
相手は 自分の意志で がまんもするかもしれないけど、それを 乗り越える力もありますから。
自分が がまんすることで 何を得ていますか?何を手放していますか?
本当に 自分を大切にすること=他人に我慢をさせること、ですか?
よーくココロの声を 聴いてみてねん
