“失敗できない時代”になっている

先日、教育関連のイベントに参加したとき、

「今は、“失敗できない時代”になっている」

という話がありました。

 

その言葉が、妙に心に残りました。

 

確かに今は、ネットを開けば、

すぐにいろいろな「正解」が出てきます。

 

わからないことがあれば検索する。


何かを買うときは口コミを調べて、

なるべく失敗しないものを選ぶ。

 

そして今では、AIに相談すれば、

 

「こんなとき、どうしたらいい?」
「どんな言葉をかけたらいい?」

 

そんな問いにも、

すぐにいくつもの答えや

選択肢を出してくれます。

 

もちろん、

これは悪いことではありません。

 

私自身もAIをよく使っています。

 

自分では思いつかなかった視点をもらったり、

頭の中にあるものを整理してもらったり。

 

使える場面はたくさんありますし、

とても便利です。

 

ただ、その一方で、

 

「自分でやってみて、失敗する」

 

という経験は、

少しずつ減っているのかもしれない。

そんなことを考えました。

 

 

 

私たちは、失敗したくない

できることなら、

失敗はしたくありません。

 

恥ずかしい思いもしたくないし、

後悔もしたくない。

 

だから、なるべく先に調べて、

正解を知ろうとします。

 

これは、子育ても同じではないでしょうか。

 

特に子どもが不登校になると、

 

「どんな声かけをしたらいいんだろう」

「見守るって、どうすればいいんだろう」

「この対応で合っているのかな」

 

と、正解を探したくなります。

 

私もそうでした。

 

大切な子どものことだからこそ、

間違えたくない。

 

できるだけ「正しい関わり方」

をしたいと思っていました。

 

でも、子育てには、

「これをすれば絶対にうまくいく」

という正解はありません。

 

子どもによって違うし、

同じ子どもでも、

そのときの状況や気持ちによって違います。

 

情報を集めたり、

誰かに相談したりすることは大切。

 

でも最後は、

やってみないとわからないこともあります。

 

そして、

「あ、これは違ったな」

と思ったら、また考える。

 

本当は、

そうやって進んでいくものなのかもしれません。

 

 

失敗する人が、なぜか愛される

そんな「失敗」について考えていたとき、

ふと、

お笑い番組にでるお笑い芸人さん

のことが浮かびました。

 

テレビを見ていると、

運動がものすごく苦手だったり、

ダンスが得意ではなかったり、

歌が上手くなかったり、

料理をしたらとんでもないものが出来上がったり。

 

自分の苦手なことや失敗を、

笑いにしているお笑い番組がありますよね。

 

そして不思議なのが、

そんな姿を見ると、

その人を嫌いになるどころか、

むしろ好きになってしまうこと。

 

「あ、この人にもできないことがあるんだ」

「こんな失敗するんだ」

 

そう思うと、

なんだか急に身近に感じます。

 

何でも完璧にできる人よりも、

ちょっと不器用だったり、

失敗したりする姿に、

人間らしさや親しみを感じることがあります。

 

もちろん、

自分の失敗や苦手なことを、

何でもさらけ出せばいいということではありません。

 

でも、

「私、こんな失敗しちゃって」

と誰かに話したとき、

「わかる!私もあるよ」

と言ってもらえた経験はないでしょうか。

 

失敗を話したことで笑いが生まれたり、

相手との距離が縮まったりする。

 

もしかすると、失敗には、

人を遠ざけるどころか、

人と人を近づける一面も

あるのかもしれません。

 

そう考えると、

「失敗って、本当にそんなに悪いものなのかな?」

と思えてきました。

 

 

「失敗」の意味を変えてみる

私たちは「失敗」という言葉に、

「できなかった」
「間違えた」
「ダメだった」

というネガティブな意味をつけがちです。

 

でも、例えば何かをやって、

うまくいかなかったとします。

 

「失敗した。ダメだった」

と捉えることもできる。

 

一方で、

「このやり方では、うまくいかないことがわかった」

と捉えることもできます。

 

起きた出来事は同じです。

 

でも、そこにつける意味は違います。

 

「やっぱり私には無理だった」

ではなく、

「やってみたから、ひとつわかった」

と考えてみる。

 

そうすると失敗は、

「自分はダメ」

という証明ではなく、

「次へ進むための経験」

に変わります。

 

失敗そのものをなくすことよりも、

失敗にどんな意味をつけるか。

そちらのほうが大切なのかもしれません。

 

 

子どもに見せたいのは「失敗しない親」?

そして私は、

このことを子どもたちにも

伝えていけたらいいなと思うのです。

 

不登校になると、

周りの子が

学校へ行っていることや、

進級したり、

受験したりする姿が目に入ります。

 

そんな中で、

「みんなができていることが、自分にはできない」

「自分はダメなんじゃないか」

と感じることもあるかもしれません。

 

でも、

思い描いていた通りに進まないことと、

人生に失敗することは違います。

 

立ち止まったから気づくこともある。

 

やってみて、

「これは自分には合わなかった」

とわかることもある。

 

予定していた道とは違うところで、

自分に合ったものを

見つけることもあります。

 

だからこそ、私たち大人が、

「失敗は怖いもの」

として扱わないことも

大切なのではないでしょうか。

 

子どもに言いすぎてしまったら、

「さっきの言い方、よくなかったね。ごめんね」

と謝る。

 

何かに挑戦してうまくいかなかったら、

「失敗しちゃった。

でも、

やってみたからわかったこともあるね」

と言ってみる。

 

わからないことがあったら、

「お母さんもわからない。一緒に考えよう」

と素直に言う。

 

いつも正しい答えを

知っている親でなくていい。

 

間違える姿も、

失敗する姿も、

そのあとに

もう一度考える姿も

見せていい。

 

そんな大人を見ながら、

「大人でも失敗するんだ」

「失敗しても、そこで終わりじゃないんだ」

と子どもが感じてくれたら。

 

言葉で「失敗しても大丈夫だよ」

と伝えるだけではない、

もうひとつのメッセージになるように思います。

 

 

正解を知ることと、やってみること

AIやネットが、

たくさんの答えを教えてくれる時代。

 

便利なものは、

これからもどんどん使っていい。

 

私も使います。

 

でも、正解を知ることと同じくらい、

自分でやってみること。

 

そして、うまくいかなかったときに、

その経験にどんな意味をつけるか。

 

それも大切にしていきたいと思います。

 

失敗を、

「ダメだった」

で終わらせるのではなく、

「やってみたから、わかった」

に変えてみる。

 

「間違えた」

で終わらせるのではなく、

「じゃあ、次はどうしよう」

につなげてみる。

 

失敗は、

自分の価値を下げるものではありません

ときには、

自分の人間らしさを

誰かに知ってもらう

きっかけになったり、

人との距離を縮めたり、

次の一歩を教えてくれたり

することもある。

 

そう考えると、

 

失敗って、

案外悪いものではない

のかもしれません。

 

そして、

私たち大人が失敗を

そんなふうに捉えられるようになったら、

その姿を見ている子どもたちにとっても、

失敗は今より少し、

怖くないものになるのではないでしょうか。