子どもたちが、家庭や地域で親、家族、大人たちから愛され安心して暮らせる世界へ

 

 

 

 

はじめまして。
アダルトチルドレン人生好転カウンセラー平井智美です。

今年(令和6年)で、アダルトチルドレン専門のカウンセラーとして開業し13年目。

宮崎市で、アダルトチルドレン専門のカウンセリング「母と子の相談室」を主宰しています。

 

 

宮崎県宮崎市に来て8年目。
1966年生まれ、蠍座、B型。
四魂の窓でいうと「智」のタイプ、陰陽五行では、「木の陽」です。

出身は熊本県、娘2人、息子2人(長女、長男、次女、次男)持つ母親です。
子どもは全員成人しています。

 

 

7年前に関東から越してきた時に、私の母(93歳)も一緒に暮らしはじめました。

母と家の中でこんなに長い時間一緒にいるのは初めてのことで、母のこれまで知らなかったことを知れて、なぜ私が過去の人生、現在の人生を生きることになったのか解明できましたし、カウンセラーとしても大変勉強になりました。

 

 

 

プロフィールを新たに書き直しました。

母と暮らしたこと、クライアントさまとのセッション、カウンセラーの経験、子育て、介護の経験、たくさんの人に会いに行って勉強してきたことから、お読みいただく方に何か気づくきっかけになるようなプロフィールにしてあると思います。

 

よかったらこのままお読みいただければ幸いです。

 

 

 

まずは、きっかけから。

 

私がカウンセラーになったきっかけは、物事から考えると母から逃げるように結婚した嫁ぎ先が倒産した事ですが、母から逃げるように結婚した夫と嫁ぎ先は、私にとって悩みの宝庫になり、毎日、毎日怒りと悲しみと悩み、それしかない暮らしになっていました。

 

そのため、結婚当初から、「なぜなの?」「何が原因?」「どうして?」「何が悪いの?」「私がおかしいの?」「なぜ、こんなに頑張っているのに幸せを感じることができないの?」など、悩んで悩んで笑う事なんてなかったですし、とにかく自分の中にある「?」を知りたい、答えを見つけたい、そう思って生きていました。

 

それが、倒産したことにより、更に悪い状況になり、心身ともに参ってしまい身体が動かなくなったことで、「もう自分の中にあるものでは私の人生はよくならないんだ」と分かり、そこから調べ始めたことが本当のきっかけです。

 

 

 

これまでプロフィールは何回か書き直していますが、下記内容は、カウンセラーの経験を元に、読んでいただく方のヒントになるようなプロフィールになっていますので、ぜひ、ご自身のお悩みと、親子、家族関係を比べながらお読みいただければと思います。

 

 

 

親のことと家庭環境

両親は、大正生まれの父親と昭和1桁生まれの母親で、父が40代後半、母が30代前半の頃、自営業を始めたため、忙しい、家庭に親がいつもいないそんな家庭で私は育ちました。

父親は4人兄弟姉妹の次男(兄、父、弟、妹)、和食器の焼き物の家で生まれ、長男と差別されて育っています。長男をとても大切に育てた家庭でした。中学から職人の世界へ修行に入り、手先が器用で仕事に対しては厳しく完璧を目指す父でしたが、栄養不足から身体は細く、人の好き嫌いがはっきりしていて、優しく繊細なところもあり図太くもあり、職人時代からお酒をよく飲んでいました。
女性が多い職場にいることが多かった。

 

 

母親は、4人兄弟姉妹の3番目で長女(兄、兄、母、妹)、父親は営林署の仕事をしていたと聞いています。母の両親は母が6歳と9歳の時に亡くなったため、父方の祖母に奉公(竹製品を作る会社)に9歳で出され、小学校も卒業していません。子どもの頃から、睡眠もろくに取らず大人になるまで毎日仕事をして生きてきました。時々、祖母の家に帰りますが、義理の祖父がお酒を飲んで酔っては母に暴力をふるうため祖母の家も安心できる場所ではありませんでした。母の下に妹がいるのですが、妹はその義理の祖父から可愛がられて育っています。男性が多い職場で、雇い主や男性の上司には恵まれましたが、奉公先の奥さんやお嫁さんから意地悪されて育っています。祖母からも愛情をもらえることもなく、話を聞きましたが、とても冷たい祖母でした。

 

 

私が生まれた時は商売を始めたばかりで忙しかったため、生まれてすぐから、毎日、母が仕事が終わる夜中まで色々な人に預けられていました。4年後に弟が生まれてからは子守りのおばちゃんが家で私たち2人の面倒を見ていました。

預けた先も、子守りのおばちゃんも子育て経験がない人がほとんどで、両親も家庭の中で親や大人にしっかりと育てられていないため、子育てらしい子育てはしてもらうことなく私と弟は大人になっています。

 

 

父親は、夜遅くまで男同士の付き合いで飲んでいて、母は夜中まで仕事。両親と夕食を一緒にとることもなく、休みもない状況だったため、小さな頃に親と遊んだり、学校であった出来事を話すような会話もありませんでした。そのため、眠るまで誰との会話もなく口を開けることもない夜を結婚するまで過ごしていました。
ただ、母はどんなに寝ていなくても朝食はしっかりと準備してくれて、母の顔を見ながら朝ごはんを食べて学校へ行っていました。

 

私の子どもの頃の記憶は、父親はいつも酔っ払っていて、母親はいつも忙しく辛そうだったり、怒っているか体調が悪そうにしていました。時々、はげしい夫婦喧嘩をしていましたが、母は父のおかげ、父は母のおかげと私によく言っていましたので、両親は仲が良かったのだと、大人になってから分かりました。

 

 

本来の両親はどうかと言うと、父も母も根は明るく、非常に我慢強く、精神的にも強い人だと思っています。親と家庭環境、当時の仕事の厳しさ、戦争体験などの影響で辛く大変な経験をしてきた2人で、私と弟にとっては良い親、家庭環境ではありませんでしたが、大人、親になりカウンセリングの仕事をしてきた今の私は、「本当に大変な時代をよく頑張って生きてきたんだね」と、両親へ思えるようになりました。

 

 

 

父親との関係

父が年老いてから生まれた私は、父が働いている姿を覚えていません。また、私が小学生の頃に倒れて寝たきりになり、母1人で仕事をするようになったことで、父の世話が長女の私の役割にもなりました。

父とのふれあいや会話もなく、いつの頃から私が世話をしなげればならない人になり、カウンセリングの仕事をするまで、「父親ってなんだろう?」という言葉が私の頭の中にはいつもありました。

 

ただ、私に感情的に怒ることはなく、直接は私に言わなかったのですが私のことをよく心配していたと弟から聞きました。ですから、父のことを嫌いと思ったことはほとんどなく、「よくわからない」けど父親なんだなという認識でした。

カウンセラーとして父のことを考える(想像=イメージ)と、父も父親との触れ合い、会話もほとんどなかったでしょうし、母親との関係も薄かったのだろうと想像できます。


そんな中、一生懸命働く母と出会い、母と生きていくことで父は居場所ができたのだと思います。

このように、父親とはよくわからない、男性の父との会話がほとんどない、父親が働いている姿を見ていない、社会で働く父から色々大切な話を聞けないまま大人になった私は、小学生の頃から男の子の前が恥ずかしい、男性の先生が少し怖い、恥ずかしいと思っていましたし、その後、成長しても男性の先輩、上司と何を話していい分からず、頼ることもできず苦手で、父親の世話をしてきた私は、「男性は世話をしなければならない」という認識のもと、そういう男性しか認識できなくなったのです。

 

 

母親との関係

次は母親との関係ですね。これを書くにはとてもエネルギーが必要で、とても疲れる作業になります。

 

私の人生に母は大きな影響を与えてくれました。上記に書いたように今は、「母も本当によく頑張って生きてきた」と思えるようになりましたが、そう思えるまではたくさんの葛藤がありました。

両親を早くに亡くし、家族の中で育つこともなく、何かあっても誰にも頼れず1人で生きてきた母は、私が生まれ、私が自分のことや家や自営業の手伝いができるようになった小学生の頃から私を精神的に頼り、母の親代わりにしていました。

 

当然、私はそういう事になっているとも知らず、幼い頃は訳も分からず母を助けなければという思いで父の介護、母の手伝い、弟の世話をしていました。その頃はまだ母も私に感情的に怒鳴ったり、怒ることがなかったため精神的には楽だったのですが、

私が中学生、高校生になり一人で行動できるようになると、私の行動を制限し、監視するようになりました。友人と遊ぶことを嫌がり、どうしても遊びたい時は母の機嫌が良い時に必死にお願いしていました。それでも、急に気持ちが変わり遊びに行けなかったこともたくさんありました。

 

また、リビングで勉強をしていると仕事から帰った母は、「なぜ勉強をしている」と急に怒り始めます、それは勉強の時もあれば、本を読んでいる時、何か自分のやりたいことに集中している時、と様々で、母の気持ち次第で、それは必ず仕事から帰ってすぐの時に感情的に怒られることが多くなっていました。

社会人になっても同じで、私の仕事が終わったらどこにも寄らず真っ直ぐ家に帰らなければいけない、友人と遊ぶのも相変わらずダメで、更に、仕事が終わった後ももう1つ仕事をするのが当たり前で、それで得たお金は家に入れるように言われました。

 

時々温かく優しい母の時もあり、他の親、家庭を知らない私は、母が朝早くから夜遅くまで仕事をして、遊びに行くこともなく贅沢もしないため、母の言う事が当たり前と信じていましたし、自分も母のようにならなければいけないと思い、結婚してからも子どもを産んでからも、とにかく寝ずに仕事と家事、育児を完璧にするため必死に頑張るのでした。

また、アダルトチルドレンの家庭特有の、母の話を聞かされることが多く、愚痴や弟の家庭の話しから始まりテレビやご近所の話しを聞いていました、反対に私の話を聞くことはほとんどありません。何か話をしてもすぐに母自身の話にすり替わりますし、母の気にさわることを言うと感情的に怒られていました。

 

とにかく、母親から抑えつけられ自由を奪われ、自分のことを話せる人もなく、楽しいことは良くないこと、真面目に学校だけ、仕事だけしなさいと身動きが取れないような子ども時代を過ごしました。

 

 

 

夫との関係

私が結婚したのは、まだ母と暮らしたほうがましだったと思うような夫でした。

 

世間的には良い夫、父親として振る舞う夫でしたが、一緒に暮らす妻の私や子どもたちにとっては、私たちと暮らすのは、私たちの人生をめちゃめちゃにするのが目的ですか!?と数えるとキリがないほど嫌なこと迷惑なことをする人でした。

この話をすると、私たち家族のことを知っている人は信じないでしょう、それくらい、夫は世間的に良い顔ができ、アピールが上手、そして嘘ばかりついている人間でした。(本人も認めています)

今になって思えば、夫は子どもの頃から嘘ばかりついていましたし、子どもの頃からですので結婚する前から私に小さな嘘を重ねていたのです。私が気づけなかっただけでした。

 

これは夫の悪口でもなければ、誰かに愚痴を言いたいから書いているのではありません、本当のことですし、こうやって書く事で誰かの役に立てればと思い書いています。

 

夫は夫とは違い、しっかり家族のため自分のために働く父親がいます、その父親のおかげで何不自由なく育ち、楽しい大学生活を過ごし、2年ほど働いたあと、専門学校に2年通い、卒業後は父親の会社で仕事を始めました。

両親との会話はほとんどなく父親は怖い存在だったようですが、何かあれば父親が先回りして段取りするので、生活やお金に困る経験がなく、生活をする中で深く考える必要がなかったのです。

食生活では、母親が甘いものが好き、料理にもかなりの砂糖を使っていたため、夫の身体は砂糖漬けで、10年ほど前までお菓子や甘いジュースが大好きでやめることができませんでした。

その甘いものの影響もあって、肌にいつもトラブルを抱えていましたし、自分にはとことん甘く精神も弱く、それを隠すためによく逆ギレをしていました。

 

そして、私の話を聞くこともできませんし、普通に会話もできません。子どものことや家事をお願いしてもりくつを言い、「なぜ自分がしなければいけないのか?」と逆ギレします、逆ギレをしなくなったのはここ1年ほどですから、本当に何も考えず何も分からず大人になったのでしょう。

 

先ほど、夫は父親が怖かったと書いていますが、確かに怖い部分もあったでしょう、ですが、母親の影響で小さな頃に父親のことを勘違いしているのです。父親が悪い、わがままだという認識が夫にはありましたが、私は、それは逆だと言い続けていました。

夫がわがまま、だらしがない、責任を持たない、行動が伴っていないため父親が厳しく言っていただけだと。長年、夫は否定してきましたが、どうしても反論できないことを夫が何度もしでかしたため、最近になって少しは認めたように思います、それでも、根本は死ぬまで変わらないのではないかと思っています。

 

信用をしようと繰り返し頑張り続けてきましたが、あまりにも次から次へと新しい嘘が発覚するので、今は、信用していませんし(その方がこちらが穏やかでいられる)、ほんのちょっとだけ面白くなって、この子どものようなおじさんが今後どうなって、どうやって人生を終わるのか見てみたいとも思っています。

この夫と暮らしてもう30年以上経ちますが、ここまで来れた理由は、私が私の母に育てられて慣れていたからだけで、今の私だったら出会っていませんし、結婚したとしてもとうの昔に離婚しています。

 

自分の都合のために私を振り回し、利用し、人生をよりよくして行きたい私の邪魔をする母に育てられ慣れていたため、そして、そのことに気づかず知る事もなく、母に似ているところがあって、世間的には真面目に見え、他人のためには誠実に仕事をする夫の姿が認識できたことで(分からない人は認識できないという脳のしくみ)結婚したのだと今はよくわかります。

このように、自分の親や家庭環境が結婚相手、その後の人生、子どもたちに大きく影響することを知っていただければと思います。

 

 

子どもたちとの関係

私は子どもを産むことがあれば、母のような子育てはしないと決めていました。ですが、当たり前ですが、できませんでした。母と同じように感情的に怒り、母と同じように子どもが友達と遊ぶのを妨げ、母と同じように躾に厳しすぎるなど、あらゆる面で母と同じ子育てをしていましました。

 

理由は簡単で、母以外の母親の子育てを見ていない、母親以外の母親のことを知らなかったためです。

あのままカウンセリングを受けてなかったら、カウンセラーになっていなかったら、子どもたちは今もまだ会ってくれなかったかもしれません。

 

また、子どもが3歳まで6歳まで誰が育てるかはとても大事です。例えば、祖母が6歳まで育てた子どもは祖母の思考や価値観、行動に似ます。6歳から祖母からバトンタッチして親が育てるとすると、子どもも親も戸惑ったり、親がその子どもを嫌うこともありますし、

祖母が甘やかして育てると、その後、親がどんなに叱ったり教えたりしても、親を逆恨みしたり、自分は間違っていないとなかなか訂正できない場合もあるのです。

 

兄弟姉妹で全く似ていないのはなぜですか?と相談されることがあるのですが、その答えは上記のように、兄弟姉妹で6歳ごろまでに育てた人が違うためです。

 

子育ては、人の一生を左右します。一番大切な仕事かもしれません。

子育てで悩み、子育てが辛い人は一人で苦しんだり悩んだりせず、誰かに教えてもらったり、助けてもらってほしいと思います。

 

 

最後に

私の人生は運命で決まっている、若い頃、何も知らない頃はそう思っていました。ですが、それは嘘でした。

私は知らない間に、両親の影響を大きく受けていたのです。

 

特に、両親や家庭を知らず、ただただ大人のために9歳から働かされ、大人になってからは自分のために働き、兄弟姉妹の世話や、親の介護などの経験もない母。

 

両親からお金で育てられ、甘やかされ、兄弟姉妹の世話もしたことなく、親の心配をする必要もなく、ただただ自分のためだけに楽しく楽に生きてきた夫。

 

この2人のことを知らなかったために、私は自分の人生を生きる事ができませんでした。

全く反対の生き方をしてきた母と夫ですが、共通するのは、どちらも自分のことだけ考えて生きてきたということ(母は生きるのに必死に生きてきた、夫は何も考えず自分のことだけ考え生きてきた)、自分のことしか考えられなかったということです。

そういう人が親、夫になった場合、家族はとても大変な思いをします。

 

もちろん、母も夫も良いところはあります。

ですが、母と夫の潜在的な部分を知って一緒に暮らすのと、知らないで暮らすのでは雲泥の差があるのです。

私がカウンセラーになったことで、私たち家族の目の前には夫の潜在意識が次から次へ物事として現れました。それも嫌なことばかり次々に。何度も何度も。

本当に夫には呆れるばかりでしたが、夫はその現象があるたびに、少しずつ自分のことを知り、逆ギレしなくなっていきました。今でも夫は、少しでも信頼を取り戻したいと夫なりに頑張り続けています。