まずは簡単に、僕の高校1年からの思いと生活をお話してみる。
そもそも論になるが、僕は「当時この田舎にあった高校で、唯一コンピューターやプログラミングに触れることができる学校」ということで、商業高校情報処理科を選び 進学したわけだが、
その実態は 僕のエンタメ系やゲーム、グラフィカルなプログラミング技術の習得とは程遠い 企業のための事務系処理のためのマクロなプログラミング知識を学ぶだけのものだった(いま考えると当たり前だよね)。
僕は中学のころ、BASICから基本に入り、アセンブリ言語を学びたいと考えていた(当時のPC環境的には、アマ用とプロ用の、このふたつぐらいしか選択肢はなかった)のだが、
商業高校で教えていたのは COBOLとかFORTRANといった 数値計算化するための言語が教科内容で、それを今に例えるなら、OSそのものの基礎知識をすっ飛ばして、最初からExcelとかWordのマクロなユーティリティの使い方だけを集中して学ぶようなものだ。
まぁ、まぁそれはそれでもいいんだけど、それだと「発想をカタチにする」ことができずに、すでにできたアプリケーションをカスタマイズするくらいのものでしか使えないし、
そもそもCOBOL自体が流行らなくなったらスキルそのものが全部ムダになるんやないの?みたいな感覚が僕には拭えなかった。
っていう面持ちが全面に出すぎて、学校のプログラミングの授業はほんとにダルいだけのものになってきて、まったく興味も関心も失い続けていき、成績はたちまち赤点レベルに墜落していった。
反面、僕が独学で黙々と学んでいたのはハードウェアに直結するような知識や、PC回路の原理を伴った コンピューターの仕組みから紐解く機械語プログラミングのスキルなので、
そもそもシステムエンジニアと単一言語プログラマーぐらい違うジャンルのことに一人でしがみついていたわけだ。
まあこの時には、そもそもそういう仕事ジャンルの概念すら存在してなかったんだけど。
クラスメートの皆も、さぞ僕の普段の言葉が難解で意味不明な機械語にしか聞こえなかっただろう。
異様に頭が良すぎるように見えて、勉強のテストはまったくヤル気なしで万年赤点、っていうどっちから見ても意味不明なスペックだ。
にも増して オタクで小汚ないボサボサのフケ頭な出で立ちなので、人間としても もう何一つ救いどころがない(笑)
さらに、そんだけ独学プログラマーのくせにPCも持ってない(買えないし買ってもらえない)という、知識と妄想だけが先行するエアプログラマーだ。
追い討ち材料として、そのプログラミングを「いま現在、実際に作っている人達」は、こんな田舎には一人もおらず、ほとんど経済中心地の東京や、百歩譲って 副都心、または地方でも名古屋、大阪などの経済の要となる都心部にしか存在していなかった。
そんな感じで、高校に入ってからの僕は、人間の部屋に迷いこんだ害虫みたいな存在感に自身が思えてしまった。
なんで俺はこんな空間に入り込んじゃったのだろう、みたいな(笑)
このとき、もしドラえもんから「ひとつだけ好きな道具をあげるよ」って言われたら、きっと僕は「石ころ帽子」を請求したはずだ(笑)
そのくらい、どうせ叩かれる害虫なんだから、もはや誰からも見られてほしくない、存在に気付いて欲しくない、自分のことはもうそっとしておいて欲しいという気持ちが強かったのだ。
そこに帰属心などカケラもなく、ただひたすらに学校が終わるのを待って、一目散にデパートのPC売場に身を潜めるのみ。
(家に帰ったところでイモ屋の手伝いか、夫婦喧嘩の愚痴を聴かされるか、なんか気に入らない所を発見されてお説教されるかにしかならないし)
1日の学生生活のサイクルでは、唯一この「デパートのPC売場で誰からも干渉されず自己没頭できるひととき」のみが、僕がいまを生きられるエネルギー源となっていた。
そして、そんな逃避生活の繰り返しから、こんな毎日が あと二年以上も続くなんて耐えられない!
という思いがひしひしと大きくなっていき、
高一の三学期、ついに僕は親に思いのほどをぶちまけた。
「父さん、母さん。もうね、僕 本当にしたいこともできないし、学校もなんか行く意味がわかんなくなってきた。
でもパソコンだけは大好きだから、ここで学校を辞めて、プログラミングが本気で学べる都会に行きたいんだ。もちろん一人でも全然かまわないから。だから、もう学校辞めて上京したい。」
これには父も母も呆気にとられたのか、しばらくぽかんと無表情のまま、目の焦点もなんだか合っていなかったようだ。
しばらく経ってから、ようやく僕の言ってることの意味が呑み込めたのか、神妙な面持ちで 落ち着いた感じの声で、こんな感じの意見を返された。
「お前の考え方は、思いつきだけというか、無茶苦茶というか、まったく順序も要領を得ない。つまりは、世間知らず過ぎるというか、まあ まだまだ子どもだから仕方ないんだろうな。
そもそもお前は高校すらもイヤになって逃げて中退した分際で、上京したとこで一体どんなパソコン会社が東京にあって、その会社がお前をすぐに雇うというのか?
お前の行きたいパソコン会社があるっていうならお父さんに教えてみろ。
そしてその会社に、僕はこんな人間ですが、パソコンを覚えたいので雇ってくださいって自分でお願いしてみろ。
そこまでやって自分で内定させたんだったら、お父さんはもう何も言わん。できるもんならだがな。
ただし、仮にそうなったとしても、お前はウチの一人息子で、唯一の後取りなんだから、いずれは必ず跡目を継がなければならんぞ。
もしそのまま、都会でフラフラとフリーターみないな生活をするんなら、断じて許さん。
それだけの覚悟がお前にはあるのか?」
これには、僕はもう閉口するしかなかった。
厳しい。親とか身内とかの枠すらも超えて、僕にはあまりにも突き刺さるほど大人からの厳しい言葉だった。
「わかんないよ…そうまで言われたら、どうすればいいか…」
ボソッと呟いた僕の言葉に、父は被せるように畳み込んだ。
「だいたい、お前は何を言ってるのかよく聞こえん。声も小さい。そんな引っ込み思案なことだから、こっちも聞いてて気持ちがモヤモヤするんだ。
まるで覇気というか、気合いのようなものが感じられないのだ。要するに、気弱すぎる。
そんな事だから、お前には父さんたちも何かを成し遂げられるような気概をまったく感じんのだ。
そもそもが、そんな事だから、クラスメートや友達にもナメられるし、いじめられるんだ。
根本的に性根がまったくなっとらん。
いいか、お前のようなひ弱なやつは、最低でも高校ぐらいは卒業せんと、誰からも守られることはないんだぞ。
だから、高校は最低限 絶対に卒業しろ。大人になるまでは、途中中退なんか認めん。そんな事では、いつまで経ってもどこに行っても、ずっと逃げ回るだけの人生だぞ。もうこれ以上、自分から逃げるな!」
僕は完全に返す言葉を失った。
父の言うとおり、戦意とか反発とかの感情は生まれず、ただ自発的に気持ちがノックダウンしただけだった。
この親とのやりとりで心のなかに生まれ、決意したのは、反省とか反発などのリアクションではなく
「これからは、これ以上 僕自身のフラストレーションや価値観の敵意を増やさないための自分の環境作りに務めよう」ということ。
その辺りからだ。僕がさらに 人とまともに意見をすり合わせたり、議論することが異常に苦手になってきたのは。
とにかく ますます小動物のように違和感センサーだけが発達していき「自意識」が高い人が目の前に現れるたびに、言葉も態度も硬くガードする傾向が強くなっていったのだ。
動物的な防衛本能のほうが目覚め、揺れ動かされ、そして強化されていったのだろう。
そんなわけで僕には、もはや今選べる選択肢はこれですべてが消えた。
ただひたすらに、3年生の春が来て卒業するその日まで、ずっとじっと「メンタル的な冬眠」をするしかないなと覚悟を決めたのだ。
なるだけ、環境に左右されず、なにが起きても生きる痛みを感じない方法を。
なるだけ、メンタルにダメージを受けない、防御力が強くなる感性を。
なるだけ、第三者に見つからず干渉されない「空気や石ころ」のように、誰からも気にされない、見えなくなるような技術を。
大好きなパソコンプログラミングは「僕だけの世界」として自分の生きる糧と希望にしつつ、ほかのスキルは そういった「心の徹底防御」に探求力を鍛えていくようになっていった。
だから、この頃からの僕の他人からの評価は総じて
「何を考えてるのかわからない人」
「思いや感情が感じ取れない人」
「不可解で難解な行動が目立ち、詮索すると隠れる人」
というようなものだった。
まあ ほんとに対応が面倒くさすぎたんだから、そうなる。
もうどうでもいいんで、僕のことはほっといて欲しいマジで。
こんな心持ちのまま「時間をあと二年半早送り」したかっただけの高校生活が過ぎていった。
あっ、そういえば この頃から家に居るときやデパートが閉店してる夜中は、親に隠れてこっそりマンガを描くようになっていたな。
どうせ家にいたらパソコンの実機もいじれないので、なにもできないし。
で、なんでマンガかというと、家族で唯一、低学年のときの僕のお絵描きを褒めてくれた おばあちゃんの影響が思い出されたからだろう。
まあ、とにかく 自分の見つけた何かをする時は、必ず「人影から隠れて一人だけで」こっそりやることが、僕には当たり前の行動になっていた。
その僕が大人になったいま、
この時 両親に起きていた「出来事」がどんなものであったかを、しっかりと把握し受け止めることができたからこそ、
なぜ この父と母が、こんな考え方でいたかも、はっきりと今、理解できた。
次回は、その「両親の深い生活背景」についてお話してみる。