1985年。この年、8月12日に航空機史上最悪の、日航ジャンボ123便機墜落事故が起きた年だ。

この世界的大事故は、ずっと後になってから 日米の「プラザ合意」によって日本円為替市場を大きく変化させるきっかけになっていたと囁かれていて、日本がこれから「バブル市場」を迎えるための布石のひとつとして引き起こされた、経済上必然の事故だったとする説も生まれている。

 

僕の父もきっと、そんな「国の経済的な事情」によって この少しだけ後、人生の岐路を突き落とされることになった一人なのだろう。

 

 

さて このころ僕は高1に進学し、当時存在価値が認められていなかった

ひとりのパソコンオタク」としての学校生活に勤みはじめていた。

 

 

まだ少し先の話にはなるが、1988年(僕が高3になるころ)には 埼玉で連続幼女誘拐殺人事件を

起こした、宮崎勤死刑囚が「アニメオタク」という人種だったことが大々的に報道されることとなり、

 

 

なんというか 今となってわかったことだが、とてもタイミング的に

【社会的に反感を強く受ける】カテゴリの人種に自らがなって、そこに飛び込んでいってたのだ。

当時 夢中でやりたいことを模索し始めた僕には、

そんな反則的な社会環境的になる事なんかには気付きもしなかった。

 

 

僕の高1時代はまた 中学時代とはうってかわって、パソコン・プログラミング(それもエンタメやゲームなどの分野で)を知りたい、学びたいという強い気持ちに突き動かされていて、その行動もまた 学校が終わると本屋に行き、PCやプログラミング書籍をしらみつぶしに探しあたり、それ系の雑誌・参考書などを買って、暇さえあれば勉強していた。

 

なぜなら、学校で学ぶ授業用の教材と、現場で使うプログラミング知識や技術などの現実的なギャップの大きさをさっそく思い知ったからだ。

 

 

あくまでも学校は、商業高校の「経理事務」としての情報処理技術科の学びの場であって、それを学校で学ぶことで直接プログラマーになれるわけではなく、現場のスキルを習得する事は実はカリキュラムにはなく、

ではいったい何を習得するのかというと、定期的にテストで「知識や用語や課題に対する解釈方法」で模範的な正解をたくさん得ることを目的にしていただけだったことを体験して知ることになっただけだった。

小中学校で「勉強」にまともに向き合ったことがなかった僕は、それを高校になってから知ることになったのだ。

 

 

なので、本当に僕が目指していた勉強をして身に付けたかったら、公立の高校ではなく、専門学校やIT職場や現場のインターンとなるべきだったのだろう。これは大人になってあとから知った、ストレートに「なりたい職業に就く方法」だった。

 

 

という感じで、高校には「プロのスキルを学べる」と期待していただけに、ある種の幻滅というか、失望感みたいな感覚にまた襲われることになっていた。

まあしかし それはそれで、簿記や経理、経営などの基本的な基礎知識や会計という 元々興味を持ってはいた「商売」のルールなどを首尾だけでも学べたことには大きな意義があったかと思うが、ただ自分が本心からなりたい「プログラマーとしての道」とは 商業高校では大きな隔たりがあったことを思い知ることとなった。

 

 

そこで僕は、自己実現の意欲をますます高めていき、独学・独力で「本屋さんや図書館で知りたいこと関連の書籍」をとにかくよく読む子になっていった。本来勉強嫌いなやつだったはずなのに、なぜかそれだけは気が触れたように知識欲に吸い込まれていった。

・・・だが、そんな「知識欲旺盛」な態度が、高校時代で自分にとっての大きな「仇」となることには気が付いていなかった。

 

僕が没頭する知識レベルがほぼ「オタク」になっていたことで、それが学級内では逆に「浮きまくる存在」を定着させていった。

 

 

余談になるが、当時 僕の田舎の中学生は生徒全員の義務として「男子生徒は一律に丸坊主=5分刈り」が制服状態となっていたため、高校生になって髪を伸ばせるということに すごい憧れというか、大人の感性を感じていたため、

高校生になってからはがむしゃらに伸ばしまくり、そしてボサボサの髪型でフケも出しまくり、という自分の頭皮のことにはまったく無頓着な ファッションセンスゼロの本物の【ヲタク】としての姿を、皆に赤裸々に晒していた。

 

ということも相まって、僕の高校時代のセンスはまさに「とくに女子から最強に避けられる、ゴキブリ同様の見栄え」のキャラをつくりきっていたのだ。でもしょうがないじゃん、所詮オタクなんだから。。。

 

 

そんな感じで、ドラマやマンガのような、甘酸っぱい恋愛高校生活なんか全く視野には入れてはいなかったものの、あまりに女子たちが自分を避けて奇異の目で見まくるため、なんか僕は「なんで高校に上がった途端に、こんなに僕はスベるのか」ということに逆に悩み始めることにもなっていった。

少なくとも、中学までは女子ウケはそこそこ悪くはなかったキャラだったのに。。。(市民権を剥奪されるオタクになりきったことが原因だとは知らなかったのだけどね)

 

対して、PCとプログラミング知識「だけ」は日々メキメキとレベルを上げ続けていき、いつしか 先生よりもハードウェアに詳しい知識力を身に付けるまでに成長していった。

でも、そんな僕の独学で学びまくった「プロ用・実践専用」の知識とスキルは テストにも、授業内容にもどこにも反映されない。

しかも どれほど深く知っていったところで、それが誰にも評価されない、むしろ「やっぱりどこまでもキモい奴」としか思われない、そこに需要がぜんぜんないという 複数の心の苦痛のほうが大きくなっていき、

 

 

しまいには 男子生徒たちからも「変態」だの「キチガイ」だのと囁かれる始末になっていき(繰り返しになるが この当時はまだ「オタク」という呼称は世間には生まれていなかった)、女子からは不潔で汚いイメージなのでゴキブリのように避けられ、男子からは軽いいじめ対象になり、

僕のPCへの偏った情熱と知的好奇心の追求とが、学校や社会ではまったくの不協キャラとして孤立・確立されていくこととなった。

 

小中学校時代とはまた別のカテで、新たな「学校の悩み」を抱える環境を それとは知らず、自らで作り上げていったというわけだ。

この高校時代を経て、僕は「自分の中の孤独」に対して毎日向き合うしかなくなったため、さらに精神が一層強く育っていったのだ。

 

 

「自分の求めるものを、素直に求めない方がよかったのか」

「それじゃ自分のしたいことを心に持たないほうが幸せだったのか」

 

 

こういう学校生活での不協過ぎる環境がまた、放課後にデパートのPC売り場にさらに通い詰め(中学校時代からずっと通ってるので かなり売り場では顔なじみな奴になっていったのだ)、そこでひたむきに孤独に新しいゲームをしたり、自分でゲームを作るプログラミングを学んだりの逃避的な生活パターンをもっと強まらせていったわけだ。

 

 

 

そんな中、僕自身の悩みごとが学校で急速に多く、強くなっていったことを 親に打ち明けることも多くなっていくのだが、

その家庭内環境もまた 僕の人生の波乱とともに 新たな暗雲が立ち込み始めていく流れになっていく。

 

次はさらに変化していく、家庭内の心境と環境の変化を話していこう。