日航ジャンボ機123便墜落事故や、東西冷戦などの冷たいニュースが次々に飛び交うようになった昭和末期。
この時分、プラダ合意のあと 日本経済は株価や為替などの「金融市場」が次第に過熱化していき、それまで 株価は企業の将来性や未来価値の指針であったはずの「投資商品」だったものが、
この頃を境に 富める者がより富を得続けるための手段として、株は「金融商品」という形に徐々にすり変わっていった。
株の世界が 投資家としての資質や知識よりも、投機家としての資本力や機動力が優先されるように金融市場のルールを変えていった、と言えるかも知れない。
そんな投資技術を独学で学んできた父には、きっと先見の明があった。
元々 戦後の食料管理事務所というお役人の役職を手に入れていたにも関わらず、「その環境も付き合う人もつまらん」からという理由で、自分自身への挑戦というか、
自才をフルに活用して、経済的な限界のある「役人とその仲間」達の枠から飛び出したかったに違いないのだ。
それは 母の
「お父さんはすごくもったいない人だよ!そのままちゃんと役人さんとして仕事を全うしてさえいれば、出稼ぎなんかで自分の脚をケガすることも、こんなボロ屋で子どもからもイモ屋、ヘボ屋ってバカにされる商売を続けることもなくて済んだのに!
そしたらお前だって、好きなパソコンの勉強も行きたい学校も、ちゃんと毎日満足にできたのにねえ!
でもお父さんはお父さんなりに、そうしたいと考えてるから株なんかで一攫千金を狙ってるんだろうけどね、だけど 儲かってる儲かってるとか言ってる割に、うちらにはいつまでも何の還元もないじゃない?
ほんとに儲かってんだかわかんないよね、お母さんだって、儲かってるのならこんなに一生懸命毎日ボロ屋で我慢して働かなくてもよくない?お前はどう思う?」
という、母の本心からの愚痴(陰口?)で お互いの背景と思いを僕は読み取ることができた。
僕は、小さい頃からそんなお互いの相反する、わかりあえない主義主張をずっと聞いてきて、
どちらに軍配が!どちらが正しい!などという評価を下す気持ちにすらならなくて、
ただ単に もうそこにエネルギー使うのが面倒くさすぎるので、どうせ解決するわけじゃないし、どうでもいいから争わないでいて欲しい、そんなことに僕を挟まないで欲しい、という気持ちが強かった。
父はきっと 株では明らかに儲かってはいたはずなのだが、元々資産もタネ銭も何もない「すっからかん投資家」のゼロ状態から、日々チビチビとタネ銭を作り続けてきたはずだ。
そして より収益の質量を早く大きく増やそうとして、その原資であるタネ銭を「複利で目一杯再投資」し続けていたはずなのだ。
そのタネ銭の「タネ」こそが、母の経営する駄菓子屋「イモ屋」の日々のわずかな売上であり、
母はそもそも 農家の生まれ育ちなので 金融とか投資の何たるかの基本のき すらも知らない人だから、父のやってることの意味がまったく理解もできなきゃ、意味すらわからない。
母はたんに 田植えしたモミが育ったなら、実がなるのは当たり前じゃないか、その実は食べられるに決まってるじゃないか、という農家の経験則理論でしか、目の前の現実を捉えることができないでいた。
その母からしたら、自分は一回も「働いて果実を食べさせてもらえた」ことすらないのに、父の何に感謝したり信頼すればいいのか意味がわかんないよ、という意識が強く読み取れたのだ。
そんな母にとっては、投資家として資金難状態なときの「複利再投資」なんて 金融技術の意味も知識もテクニカルすら、まったく無知で無理解なもんだから、
きっと父の言い分としては
「解りもしないくせに俺に意見するな、わかんないなら、俺は一人で一生懸命戦ってんだからもっと応援しろ」という、
お高いの無理解同士が生んだ価値観の摩擦の口喧嘩だった可能性が高いように思えてならない。
まあ 単純な話なんだが、いかに「お父さんは凄いんだよ」と教えられたところで、そのお父さん自体が 相手になんにも恩恵を与えられなければ、相手にとっては
「一体なにが凄いんだろう」という疑問符や、腑に落ちない違和感だけしか生まれない。
それどころか、母的には「こんなに応援して売上も差し出して尽力してあげてるのに結果出せないなんて、お父さん実はヘボなんじゃ?」っていう意識すら芽生えさせるわけだ。母は投資のプロセスなんか、まったく理解できないから。
そして益々、お互いの価値観の摩擦と衝突は激しさを増していくという悪循環。
この図式だと、どこまでいっても平行線でしかないのだ。
だから僕は、さっさと家を出たかった。
お互いの主義主張の小競り合いと摩擦に巻き込まれたくなかった。
早く大人になってここから逃げ出したかった。
父や母が「意見できなくなる」くらいの、自立した経済力をこの時から自分自身で身に付けたかったのだ。
そんな地合いだから「中高生のとき、パソコン」に出会ったことで、自分自身を投じさせる情熱が沸いたものの、
結局 ここにいるうちは何も叶わない、大人にならないと行きたいところにも行けない。
ある種、刑期満期を待つ囚人みたいな面持ちでもあったのだ。
懲役を日々消化する囚人は、こんな気持ちなのかなあ(さすがに本当に入ったことはないけど)。
さてさて、そんなこんなで 母は父の家族にも実入りのある成功を
「ねえ、まだあ?」ばかりに、言葉にはしないまま働きながら我慢して待ち望み、
父は「あと一桁、あと一桁」と言葉にはしないまま あの手この手で知恵を振り絞りながら、なんとか資本力をもっと早く底上げしようと全力で複利投資を頑張っていた。
両親は、これでもお互い理解しあえないまま、それぞれの想いを叶え形にしようと、お互いに毎日が必死だったのだ。
父は 不満や愚痴を言う母をもう黙らせたい、自分の実力を本心から自己実現させたい。
母は 我慢が実った「果実」を家族皆で分け合いたい、ストレスと我慢のない、誰にも馬鹿にされない、皆との幸せな暮らしを叶えたい。
だからこそ、僕は この時「人はみんな、自分のことだけで手一杯なんだなあ」という孤独で冷めた客観視ができるようになっていたのだ。
そう、もはや自分自身のことでさえも。
そしてついに、僕が高2から高3に進学するくらいのタイミングで いよいよそれは起きた。
父が華々しい株投資の成績を更新し始めた時代から 順調に上昇トレンドを描き続けてきた日本株が、一時的に全面急落する時期がこの頃あったようだ。
確かこの時、父が言ってた言葉に
「将来伸びる会社さえ見極めれば、基本的には価値は上がっていくから、買値より上がったら売る。そのタイミングを逃さなければ、株はあるパターンによってほとんど動きが決まっているのだから、あとはその時が来るまで監視して待つだけでいいのだ」という意味のものがあった。
そして 今でこそ もはや常識となってるが、下落相場のときの「空売り」は父は経験的に熟練していなかったようだ。それまで、地合いが長期的な上昇トレンドばかりだったからだ。
つまり、下落トレンドに対しての情報や体験や免疫があまりに少な過ぎだのだろう。ネットもまだない(それこそ この当時のパソコンですら、ネットのインターフェイスは実装されてもいなかった)、仲間もいない環境で、一人だけで黙々と新聞や本のみからの情報源だけで、ここまで成り上がってきた、昔の孤独な個人投資家だから、まあ仕方ない話である。
僕も母も、原因はよくわからなかったが 父の心理状態が明らかにおかしい時期があり、
やたらとブツブツ独り言を言うようになったり、誰に怒るともなくいきなり癇癪を起こしたりする現象が度々起きていて、
なんだかなぁ、と思っていた そんなある日、僕が学校から帰ると、突然母が錯乱して騒ぎ喚き泣いていたのを目撃したのだ。
さすがにこれは いつもの夫婦喧嘩とは格別な空気感だったので、一体どうしたのと聞いてみると、お父さんが首をつって自殺未遂しようとした所を、母が見つけて止めたばかりだったという状況だった。
え、自殺未遂??またなんで?
僕にはそのくらいしか考えられなかったわけだが、どうやら母の話を一方的に聞いてみた限り、父がいつの間にか莫大に抱えていた借金がもう返せなくなり、株も暴落で大損害を被り、
それで父はどうしようもなくなったから、残ったカネで自分に生命保険金を掛けて家で自殺を図った、そこを偶然母が見つけて慌てて止めた、という経緯だったようだ。
ていうか、、順調だったんじゃないの?
なんで大損害??
僕は、ほんとに意味がわからなかった。
さらに両親の話を整理すると、
☆父は 元々資金が少ない環境で、家族皆が十分な生活が送れるくらいの利率を稼ぐために、元金をとにかく早く、2桁レベル以上にまで急いで増させたかった。
☆それを1日でも早く実現化するために、店の売上や経営実績、株取引高、保有株などすべての資産という資産を担保に、銀行やノンバンクなどから目一杯 借りれるだけ借金しまくって、
さらにその借りまくった資金で目一杯の信用取引額で、常に全力フルレバレッジの取引を繰り返していた。
☆その結果、思惑が外れて 一部の銘柄で急落が起きると、途端に追証(信用取引もまた証券取引所の高利の借金だからね)を請求され、その追証を払うためにまた借金金策に奔走する羽目に陥り始めていた。
☆資金全部が高利の借金なうえに、さらにその借金を信用取引で数倍レベルの借金運用までしてたから、利益になればもちろんでかいけど、逆にちょっと損失が出ただけで、あっという間に雪だるま式の追証に次ぐ追証地獄スパイラルに陥り始める。
☆結果、金策が間に合わず、追証が払えずとなって、保有株は次々に強制売却執行され、ついには暴落のわずか数週間で、多額の借金だけしか残らなくなってしまった。
☆万事休すと思った父は、ここで覚悟を決めて自分に保険金を掛けて、自殺して家族に償おうとした、
と、こういう経緯だったらしい。
何というか、ある意味では 父は母に発見されずに、そのまま逝ってしまってたほうがお互いに未来は より幸せだったのかもという気がしてならない。
日夜 わんわん泣き叫び続ける母。
ずっと下を向き、黙って何も話さなくなった父。
でもこれで夫婦喧嘩は収まるか、、と思いきや、この件を境に さらに両親はひどいいがみ合いにすら、発展していくのだ。まさに、死ぬまで互いを恨み続ける人生に。
時代は東西冷戦が激化し始める、国同士の核兵器開発競争や、企業同士が商品生産や販売合戦をこれから迎えようとする時代。
我が家の家庭内でもまた、深い絆ではなく、深いキズをさらに深め合う冷戦が激化していく事になっていく。
ちなみに、この時。父は またしても独力で、自己破産の手続きをサラッとやってのけた。
父さんって、ほんと 仕事自体はできる人なんだなあ。
母は、ああ恥ずかしい!ああ情けない!と、その父をあからさまになじるように、強い女に変わっていったのだが。