(長いですがすみません・・・。クライミングに行き詰ってる方に・・・)

最近は、
身体のトレーニングができない分、
心のトレーニングをしている感じです。


テレビや本を見る時間が多くなったと
先日もブログに書きましたが、
いろんな人の意見や経験を参考に、

自分はこうだなぁ~とか、
子育てしながらどうやって復活していこうかとか、

楽しみながら、考えていたりします(^_^;)

特に、昨日見た、テレビ番組で
とても、面白い物がありました。


今話題の「林修先生」ですが
ダイエットについて、
ふくよかな方々に講義をしていたのが、
とても、クライミングのトレーニングと似ているところがあって
ものすごくおもしろかったです。

(本当は、産後太りからのダイエットの参考に
なるかと思ってみていたのですが・・・)

というわけで、
そんなことを参考に
いただいたメッセージの回答をしようと思います。


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最近、ジムで仲間とセッションをしていて思うことがあります。
プロクライマーの中には、背が低くても、リーチがなくても、
筋骨隆々じゃなくても世界でトップレベルの選手はいますが、
自分たちのレベルでは結局はリーチや握力なのかなって思ってしまいます。

まずは、クライミングを楽しむことと自分には言い聞かせていますが、
セッションでみんなが登れている中で自分だけ1手目すら取れないと
気持ちが滅入ってしまいます。

尾川さんはそんな気持ちや思いになったことはありますか?
そんな時はどのように気持ちを入れ替えるというか、
どのように解決していますか?


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私も、以前はそうでした。
特に、私の場合、
男性なんかとトレーニングでセッションをやっていたのですが、
自分だけ登れないと、
やはり、リーチや体力にせいにしていたりしました。


ある意味、そういう言い訳を自分に課すことで、
気が滅入るのを落ち着かせていたのかもしれません。


もちろん、大会に出ていたころは、
あの子に負けたのは、リーチが私のがないからだ。
とか
あとは、仕事のせいにして、時間がなかったからだ。とか。


仕事しないとお金が入らない

お金がないとクライミングや生活できない

でもクライミングする時間がとられる

クライミング強くならない

仕事を減らしてでもクライミングしたら強くなるかも

でも、仕事しないとお金入らない


常に、このループに常に陥っていました。

あと、
特に自分が一番コンプレックスだったのは、
クライミングを始めた時期でした。

子供のころからやってる人には
大人から始めた自分は勝ち目があるのか?


という疑問が常に頭をよぎっていました。


極論になると、
家の親がやってなかったせいだ!
とまで考えるようになってた時期もあります。



で、ここで、結婚してからそんな私に
旦那さんがかけた言葉が
まさしく、昨日のテレビで林先生がおっしゃっていたことと
同じことを言ってました。

それは、


「優秀な人間は、自分におかれている環境に不満を言わない。」

ということ。

これを旦那に言われたときは、
グサッとささりました。


「自分におかれている環境」

クライミングジムが近くにないとか、
仕事が忙しくて時間がないとか、
車を買うお金がないから岩場にけないとか・・・


環境と言ってますが、
それは、生まれ持った自分の変えがたい体型だってそうだということです。
(太る、痩せるは変えられます)


なにかのせいにしていたら、
いつまでたっても問題は解決できず、
自分の進歩はそこで止まってしまう。


また、もう一つ旦那さんが付け加えたのは、


「幸せな人間は、どんな環境であっても幸せなんだよ。
自分が幸せと思う人は、刑務所に入れられたって幸せなんだ。」

(刑務所は極論ですが(^_^;)あと、犯罪はもちろんダメですが・・)


自分のおかれた環境のなかで
自分の幸せ、満足の価値をどこに見いだせるか?


それは、人と比べっこしてる限り
見つからないということを
私は最近気が付きました。

自分の満足、幸せは
人と比べられるものではないし、
人と比べるものでもありません。


「クライミングを楽しむことと自分には言い聞かせていますが、
セッションでみんなが登れている中で自分だけ1手目すら取れないと
気持ちが滅入ってしまいます。」


クライミングが楽しくて幸せなのか?
それとも、
人に負けないことが楽しくて幸せなのか?


どちらに幸せ、楽しさの価値を自分自身が見出すか?
どちらも人によってはありだと思います。

でも、後者なら
私だったら、別にクライミングに
固執しなかったかもしれません。
クライミングじゃなくても、
体型の関係のない
一分間で割り箸何本割れるか?
ってギネス記録でも目指してたかもしれない。


たからといって、私だって、負けたら悔しいです。
今までのクライマー人生、
時間もお金もたくさん割いてワールドカップに出続けても
ろくな成績も上げられませんでした。


でも、一番の根本は、

「負け続けたけど、クライミングが楽しいから、今までクライマー人生サイコー!」
と、私は、人から何と言われようと胸を張って言えます。

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でも、やっぱり、

「自分だけ取れないと気持ちが滅入ってしまいます。」


よね。わかります。

そんなとき、簡単に出てくる言葉の一つに、


「あきらめなければ、いつかできるよ。」


というのがあります。
私も、この言葉を支えに、頑張ってきたつもりだし、
子供たちの授業だって、

「あきらめなけれな夢は叶う!」

なんて、堂々と言ってますが(^_^;)


本当に、「あきらめなければ、いつかできる。」のか?
ある意味、世間一般の既成概念なのかもしれません。


考えてみると、
あきらめたからできたことって結構あるな、って。


私の場合、
ワールドカップ出るのをあきらめたから、
岩場でこつこつ成果もあげられたと思うし、


カタルシス五段を登れたのも、
ハイドラ四段をあきらめたから、
カタルシスをやってみようかなと思えたし、


ある意味、
赤ちゃんを授かれたのも、
ハイドラをあきらめたからかもしれません。


手放したら、入ってくるものもあります。

(みんなが登れて自分だけ登れないものをにそんなに執着しなくても
みんなが登れなくて、自分だけ登れる課題だってでてくることもよくあります。)

だからと言って
手放した、あきらめたものを二度とやらないというわけでもないし。
もう一度やりたくなったら、その時やればいい。


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物事に「執着する」ことと、
物事を達成したいという「願望」があります。

たまに、どちらか分からなくなる経験があります。

私も、カタルシスをやっていて3年かかりましたが、
2年目くらいに、気持ちも落ち込んで

「これは、ムリそうなものを達成したいと、ただ執着してるだけじゃないのか??」

と思ったことがありました。


つまり、
「一人だけ取り残されてできない課題をいつまでも執着して頑張ってるだけなのか?」
それとも、
「一人だけ取り残されてできない課題を登ってやろうと(願望)思って頑張るのか?」


執着は
「そうならないと、ダメ」「そうならないと怖い」
つまり、
「一人だけ取り残されるのがヤダ。」「自分だけ置いてけぼりは怖い」
という気持ちだけ。

それに対して

願望は
「そうなると楽しい」「そうなったらこうしよう」
つまり、
「登れなかったものが登れたら楽しい!」
「登れなくても、同じようなリーチの人に自分がトライした過程を教えてあげよう!」
とか、

そんな気持ちの違いだそうですよ。


私も、正直自分の職業上、
カタルシスを登っているときは、

「登れなかったら、たいした成果もあげてないやつがクライミングで稼ぎやがって
って言われそうで世間の目が怖いから登りたい」とか、

「登れなかったら仕事もなくなるかもしれなくて嫌だ」

とか、

そんな気持ちも湧いて来たりしました。

きっと、そういうときは
なかなか登れないんですよね(^_^;)


気が滅入って登れるようになるなら、落ち込むだけ落ち込めばいいですが、
「落ち込む」ことだけで強くなった人は
いないと思いますよ。

できないものは、できないであきらめてもいい。
人前で失敗してもいい。
いつまでたっても登れないくてもいい。
取り残されたっていい。


でも、クライミング楽しい~!


自分自身がどう、クライミングを楽しむか?
どこに、クライミングの楽しむ価値を見出すか?

だと思います。


いろんな側面で書いてみましたが、
なにか参考になりましたでしょうか??