大阪伊丹空港から宮崎への便はプロペラ機でした。1時間あまりで宮崎ブーゲンビリア空港に到着。機内は満席で、中にはお気に入り球団のユニフォームを着込んだ方までいて、この時期の宮崎が賑わうことが分かりました。

 

 プロ野球では巨人、広島、ヤクルト、西武、ソフトバンク、オリックス、楽天の7球団がキャンプ地として利用しており、そのほか、サッカーでもセレッソ大阪をはじめ、J1からJ3まで15球団以上が県内各地でキャンプを実施しています。期間中は練習試合も組まれていて、ファンにとっては公式戦とは違い、選手たちを身近に見ることができる良い機会となっているのです。空港には歓迎の文字があちこちに見えました。

 

 

 今回の目的はオリックスのキャンプの視察です。現在、その窓口になってくれているのはトレーナーの野間さんです。20年以上前からの知り合いで、まずはキャンプが休みだった2月9日金曜日の夜、一緒に食事をして、四方山話をしながら打ち合わせをしました。場所はもちろん、宮崎地鶏のお店です。締めにはお腹を気にしながらも宮崎の釜揚げうどんを食べ、明日からに備えました。

 

 翌朝の10日土曜日、アップが終わる10時半頃、キャンプ地である宮崎市郊外の清武総合運動公園で落ち合うことになっていました。彼から乗っていくレンタカーの車種や色、ナンバーまで知らせるようにと言われて、メールで送っていました。年々キャンプに訪れるファンの数が増えてきており、普通には近い場所の駐車場を利用することが難しいため、登録しておいて、球団関係者として扱ってもらうという配慮でした。実際、到着してみると、駐車場の入り口には「満車」の表示があり、警備員が他の駐車場への誘導をしていました。登録してあるはずだと申し出ると、球団関係者用の球場近くにある駐車場に駐めることができました。ありがたかったです。

 

 球場では、入り口で、登録されているかの確認があり、首からつるして分かるようにPassが渡されました。そのとき、お土産だとキャンプで使う帽子を手渡されました。宮崎でのキャンプは10年目だそうです。ここで、少し昔の話をさせてください。

 

 そもそも、オリックス・バファローズの前身は阪急ブレーブスでした。1989(平成元)年からオリックス・ブレーブスとなり、西宮から神戸への移転に伴ってオリックス・ブルーウェーブに名称が変わっています。そして2004(平成16)年シーズン終了後に、近鉄バファローズを吸収合併して、バファローズの名がつけられるようになりました。私が当時のヘッドトレーナーの松元隆司さんと知り合い、球団選手と関わるようになったのはブレーブス時代でした。最初に診察したのがブーマー選手で、ひどく緊張したのを覚えています。

 

 1993(平成5)年からそれまでの高知から沖縄県宮古島市にキャンプ地が変わり、週末にキャンプを訪問していました。1994(平成6)年に仰木監督に代わり、大きな変化が起こります。1991(平成3)年のドラフト4位で入団した鈴木一朗選手は登録名をイチローに変更し、初めて規定打席に到達するとともに、日本新記録の年間210安打を樹立して大ブレークするのです。この年の打率.385は当時のパ・リーグ新記録でした。最終順位は2位でしたが、イチローフィーバーもあり観客動員は球団記録を大幅に更新しました。

 

 その翌年の1995(平成7)年に宮古島でのキャンプを訪問したときの写真が残っています。

 

 こんな球場でした。

 

 取材陣に追いかけられるイチロー選手

 

 彼とのツーショットです。

 

 この年、1月17日に阪神・淡路大震災が起こりました。春季キャンプ以降のスケジュールも大幅な変更を余儀なくされました。チームは「がんばろうKOBE」を合言葉にシーズンへ臨み、11年ぶりにリーグ制覇を達成しました。日本シリーズではヤクルトスワローズに1勝4敗で敗れたのですが、被災地神戸を本拠地とするオリックスの活躍に、勇気づけられたことと思います。

 

 そして、翌1996(平成8)年、終盤になって驚くほどの勝率で勝ち進み、9月23日グリーンスタジアム神戸で日本ハムにイチローのサヨナラ安打で勝利し、リーグ2連覇、「神戸での胴上げ」を実現しました。さらにその勢いを持ち込んで、日本シリーズでも巨人を4勝1敗で下し、地元神戸で19年ぶりの日本一を手にするのです。ラッキーなことに、この優勝決定のゲームを観戦していた私は、ビールかけを側で見るという貴重な体験をしました。

 

 ビールかけの直前です。

 

 松元さんと主力選手たちとの写真です。現在、球団代表になっている福良さんも写っています。

 

 イチローさんの袖の「がんばろうKOBE」が懐かしいですね。

 

 それから球団が神戸大学をチームドクターと指定したため、毎年球団を訪問することは途絶えていました。しかし、今は退職した松元さんとの交流は続いています。そして今回、久しぶりにオリックスのキャンプ地を訪れることになりました。

 

 実は昨年の福岡での学会に参加したとき、たまたまソフトバンクとの公式戦で来ていたオリックスと宿舎が一緒だったのです。それで、電話して一緒に食事して旧交を温めました。それが直接的な動機です。また、別の理由もありました。4月から野球と縁の深い医師と理学療法士が運動器ケア しまだ病院に着任することから、選手を診療する機会が出てくることが予測されるので、チームの方々を紹介してもらい、ご挨拶をしようということでした。もちろん、リーグ三連覇を果たした勢いのあるチームを自分の目で確かめたいという思いが基本です。

 

 キャンプ地には驚くほど多くのファンが詰めかけていました。週末ということもあったのでしょうが、野間さんも、昔とはホントに違うとおっしゃっていました。今は強豪チームとなったのですから当然かもしれませんが、昔を知っているものとしては隔世の感がありました。

 

 そのチームを率いているのが中嶋監督です。捕手として活躍していた時代を覚えています。彼は、選手を大事にします。例えば、投手でもいくら勝ちたいゲームの大事な場面だとしても、前日使った選手を無理して使うことは絶対にしないのです。また、練習計画についても、当初からある日が休みとすることが決まっていたとします。急にその日に球団オーナーが来るということになると、慌てて日程を変更して休養日を別の日に設定するといった配慮をすることが一般的なようですが、彼は予定を変えないというのです。選手第一であり、その点では、曲げないという良い意味での頑固さがある監督なんですね。

 

 このキャンプでも、彼らしい指示がありました。練習計画はAグループとBグループの二つに割り振られていました。当然、それは一・二軍の意味だと思った私は、メインであるSOKKENスタジアムの3塁側ベンチのあたりから見ていました。投手と野手の連係プレーの練習がありました。そこで、選手同士が話している様子をあちこちで見かけました。後で聞くと、ルーキーたちに先輩選手が声をかけ、サインプレーや投内連係などでの動きを教えているのだと知りました。それはキャッチボールの段階から行われていることだということです。これは良いチームになると確信が持てました。

 

 

 たくさんのファンが来ているのが分かりますよね。

 

 コーチ陣もメニューごとに指導場所を変えるようで、次に、サブグラウンドに移動して、Bグループのバッティング練習を見ました。

 

 のびのびと実に計画的に練習が進められている様子が伝わってきました。

 

 そして、次は投球練習場です。

 

 

 昔、初めてキャンプを訪問したとき、ネット越しではあったのですが、キャッチャーの真後ろで投球を見たことがあります。離れているときはパシンという捕球音がすごいなぁと思っていましたが、真後ろでの彼らの球には驚きました。その迫力に思わずのけぞってしまったのです。これは本当に凶器になると実感したのです。あれを打ち返すという打者の技術にも改めて、プロのすごさを痛感しました。今回は横からでしたが、しばらく見ていると、いい球とそうでもない球がなんとなく分かるようになったような気がしました。

 

 その後、ご紹介いただき、球団本部の久保管理部長、佐藤副部長、さらに、コンディショニンググループの本屋敷グループ長、一軍の福條チーフトレーナーや二軍の植田チーフトレーナーにもご挨拶することができました。昔に比べて、本当にたくさんのスタッフが関わっておられることにびっくりし、感心しました。

 

 4月以降、選手たちの体調管理やケガの対処に、少しでもお役に立つことができればとお伝えしてきました。