始めるに当たって、

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 私は、40年前の1978(昭和53)年、山口大学の医学部を卒業し、国家試験に受かり、医師免許を持つことになりました。大阪に戻り、当時の国立大阪病院で外科系の研修医として2年間を過ごしました。一般外科や麻酔科の研修で、毎日のように病院に泊まり込み、先輩医師の後ろを付いて回っていました。彼らの診療、ことに、技術だけではなく、患者さんやご家族への説明を聞き漏らすまいと耳をそばだてているといった毎日でした。たまには、部署の皆さんとの飲み会にも誘っていただき、楽しい時間を過ごすこともありました。

その経過中、大阪市大の整形外科教室に入り、整形外科医となりました。そこで、日本のスポーツ医学の先達の一人である市川宣恭先生に師事して、スポーツ医学を研鑽することになりました。以来、ずっと、スポーツ選手の診療は私のとても大切な専門分野となっています。

大学病院での研究医などを過ごして、卒業して丸6年経過した1984(昭和59)年4月から、父が経営していた結核診療が中心だった島田病院に副院長として赴任しました。医師として、未成熟な段階でのこの決断は、勇気の要るものでしたが、間違いではなかったと思っています。その後、1988(昭和63)年には父の引退に伴い、理事長兼院長となり、今日まで診療をしながら、医療・介護施設の経営を続けてきました。

 私は、今でも整形外科医ですが、1999(平成11)年で、メスを置きました。最先端の技術で手術を行うよう修練を積んだ医師たちが一緒に働いてくれるようになってきたからです。この決断は、決して簡単なものではありませんでした。外科医は、自分が診療し、手術が必要だと判断すると、全責任を背負う気持ちとなります。病状を説明し、手術の方法や目的、そしてその必要性をご家族にも詳しく伝えます。そして、みんなにお願いしますと言われると、大きな緊張感に包まれます。正直、不安がよぎるときもあります。それを勉強して大丈夫だと自分自身を納得させるまで追い詰め、集中してメスを持つのです。そして、手術後、その患者さんが、術後のリハビリも順調にこなし、元のスポーツに復帰したと嬉しそうに報告してくれる時の喜びは、何にも代えがたいものがありました。その充実感と快感が味わえなくなるのです。

 今では、その時の決断は、正しかったと確信しています。その理由の一つは、手術のために割いていた自分の時間を他のことに振り分けることができたことです。そして、そのお陰で、二つ目の良かったことにつながります。組織をうまく運営・経営をしていくには、多方面からの分析が不可欠です。自分が不得意で、あまり興味もなかった医療政策のことや組織運営のことを学習することで、複眼的な思考の方法が徐々に分かってきたように思います。これはとても大きな収穫だったように思います。医師の視点だけではなく、看護師やリハ専門職と言った他の技術職の方の考え方、そして、事務系のスタッフのこと、医療・介護機関を構成するすべてのスタッフのことが、急に見えてくるようになってきたのです。

 世の中では「ゴッドハンド」を持つ医師は名医としてメディアに紹介され、その情報を見た多くの患者さんがその医師の技術により治して欲しいと受診に詰めかけているようです。メスを持って治療する外科医は、花形の俳優のように華やかに映ります。しかし、今私が「名医」の条件を問われれば、決して技術だけでは評価しないだろうと思います。運営・経営の責任を担う組織の代表として、しばらく勤めてきた立場や、メスを置いた外科医として、医療現場に携わってきた一人の医師としての視点を総合して考えると、技術以外の要素の大切さをしみじみと思うからです。

 実は、私は、40年間医師として業務をしてきて今さら恥ずかしいのですが、「医師が求められている役割」というものが、最近ようやく分かり始めてきた気がしているのです。

 そこで、今回、少しずつ見えだした私が感じる「医師の役割」ということなどを中心に、その時々の出来事や経験をきっかけに、文章を綴ってみようと思っています。医療・介護に関連した立場の方にも、また、医療・介護サービスをご利用いただく方々にも、お読みいただき、何か感じていただければと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。