「コロナ禍で活動機会が減少した3選手がもう一度世界と戦うために!」をテーマに、運動器ケア しまだ病院と健康増進施設Eudynamics ヴィゴラスでは、募集終了を2021630日として、ご支援いただく目標金額を400万円と設定し、クラウドファンディングの活動を行って参りました。

 

 

 その結果、最終目標である100名を超えて、代理で手続きさせていただいた方も含めると154名の方にご支援いただきました。そして、総額が5,056,000円に達したのです。これは私たちにとって、大きな喜びであるとともに、改めて、私たちが地域の方々や社会から想像以上の期待をいただいている証しであると認識し、これからの運営に身の引き締まる思いでいます。

 

 そもそもこの活動は、私たちと共に働きながら世界を目指し戦っている3名の仲間について、実情を知れば知るほど、組織からのサポートだけでは、彼らの思いに応えることが難しいと考えるようになったことから始まっています。彼らは、それぞれBMX、車いすバスケットボール、モーグルと、種目の違うスポーツに取り組んでいます。そして、日常業務とトレーニングを両立させ、競技生活を継続しています。しかし、どの競技も競技人口は少なく、企業などのスポンサードも十分ではないのが現状です。私たちの組織からも活動費のサポートはしていますが、海外遠征、マシンやギアのメンテナンスなどの出費は大きく、不足分は個人の出費で補っているのが実情なのです。

 

運動器ケア しまだ病院の勝田紘史院長は、「世界と戦う彼らに少しでも良い環境を届けたい想いと、これらの競技を始めた子供たちにも彼らを通して夢を届けたいと思います。どうかこの機会に、温かい声援のほど何卒よろしくお願いいたします。」とこのプロジェクトの開始にコメントを寄せています。

 

 実は、朝比奈綾香選手と堀内翔太選手については、はぁとふるグループの広報誌 58号でも特集をしたのですが、改めて、松田颯選手を加え今回クラウドファンディングでの対象となった3選手をご紹介したいと思います。

 

 

 

 

朝比奈綾香選手<BMX

朝比奈選手は19962月生まれで、大阪府堺市出身です。10才でBMXを始め、2012年全日本BMX選手権大会 2位となり、さらに世界の舞台へ、世界BMX選手権大会(イギリス) ベスト16位。2013年はアジアBMX選手権大会(シンガポール)2位となり、翌2014年はBMXタイオープン2位と、順風満帆に成績を伸ばし、将来有望な選手としてメディアにも取り上げられています。

 

ところが、翌年のリオ五輪も視野に入っていた20150702日、茨城県での全日本BMX選手権大会前日、練習先から宿舎への帰途、一般道の路側帯を走行中に飛び出してきた自動車にはねられ、飛ばされます。あまりの事態に練習仲間は「脚は見るなっ!」と叫びます。あらぬ方向に曲がってしまっているばかりか、片方では皮膚から骨が飛び出しているのです。救急車で運ばれ、皮膚が裂けている開放骨折に対して、ばい菌が入って感染が起こることを防ぐため、十分に洗浄と暫定的な固定の処置を受けます。担当医は駆けつけた両親に「傷口が化膿すれば、回復は難しいので、切断しなければならないこともある」と告げました。

 

そして数日後、地元・大阪の病院へ転院することになるのですが、ドクターヘリを使う予定が、高速道路を使い救急車での搬送となります。茨城から大阪まで10時間、その間、彼女は何を考えていたのでしょう。

 

大阪市内の総合医療センターに転送され、本格的な骨折の手術です。出血に対して、輸血も必要でした。最も恐れていた感染は起こらず、77日、8日、10日と3回の手術により右の下腿、左の大腿と膝の3カ所について、金具による固定や創外固定装着で固定を受けました。下肢を失うという事態は免れることができたのです。

 

手術後、左膝が曲がらず、その動きを改善する手術を124日に受けて、骨折の手術から5か月以上の入院になりました。退院後すぐに機能回復とスポーツ復帰を目的に当院の外来を受診されました。主治医となった院長の勝田は、「BMXの復帰まで到達するには、長く痛くて苦しいリハビリになるが、それを乗り越える気持ちがあるか。」と彼女に確認しています。彼女は「頑張りたい」と即答しました。これが20161月のことで、これがしまだ病院と朝比奈選手の出会いであり、復活への長くて辛い毎日の始まりでした。

 

 受診後、リハを進める過程で、左膝の曲がりの悪さが問題となります。本人も7月の全日本出場を目標に掲げるため、通院でのリハでは間に合わないと判断し、スポーツ復帰のために、2カ月の入院で、数回の左膝を曲げるための処置を受けます。5月にやっとBMXに乗れる状態になるのですが、競技レベルとまではいきません。その後も地道にトレーニングを積み上げ、2016年7月、全日本BMX選手権に出場。事故からちょうど一年が経過した頃でした。結果は最下位でしたが、この時点では参加したことに意義があると考えていました。

 

 2016111日、担当医の勝田院長は骨の付きが不十分だと判断し、自分の骨を移植して完全に骨が安定するような手術を提案し、本人も同意して実施することになります。機能が徐々に上がっていく中で、20177月の全日本では、3位入賞を果たし、完全復活へのかすかな手がかりが生まれたのです。

 

 その後、骨折の固定に使用していた金具を2017810日に除去し、さらにトレーニングに拍車がかかりました。11月には国際レースに出場。本人も金具を抜いて痛みが軽くなり、調子も上がってきている様子でした。

 

そして20191月、このケガの最後の仕上げの手術が行われました。残った金具を勝田医師に外してもらい、のべ10回以上に及んだケガの治療としては終了となります。つまり医師の仕事は終わりです。しかし、本人にとっては終わりどころではありません。いよいよ、これからです。ケガをして4年、競技に復帰して3年が経ちました。この大きなケガで下を向く辛い時期を自分自身で乗り越え、受傷する前以上の成績を求め、努力を止めない彼女の強さに、私たち治療やリハビリで彼女に関わってきたものみんなが驚き、そして、心から声援を送りたくなります。

 

彼女がメディアに出て、書いた色紙の写真があります。諦めずに続けることの大事さをさらりと記してくれています。

 

 

2020年4月から、これまでのスポンサーに加え、私たち運動器ケア しまだ病院と「アスリート採用」の契約が結ばれました。今は、患者さんというだけではなく、私たちの仲間の一人なのです。今後の国内の大会で勝ち、さらに、ナショナルチームA代表となって、再び世界に挑戦していってほしいと願っています。今回のクラウドファンディングはその彼女の背中を強く押してくれるものと考えています。

 

 

 

堀内 翔太選手<車いすバスケットボール>

堀内選手は奈良県大和郡山市出身で、1990118日生まれです。小中高大と15年に渡って野球に取り組んでいました。201211月、大学4年生となり、春からは会社員になる秋、阪神六大学準硬式野球の試合中セカンドを守っていた彼は、ベースカバーに回ったその時、ランナーに右足をスパイクで踏まれました。大したことはなく、よくあることと気にはせず、ベストナインにも選ばれ喜んで帰宅した夜から40度を超える発熱に苦しみます。受診した病院では食中毒と言われ入院しましたが、1週間しても病状は変わりません。

 

仕方なく他の病院を受診すると、右脚にばい菌が入っており、このままでは命にも影響するので、切断しなければならないと説明を受けるのです。「スパイクで踏まれただけなのに…。」 納得いかない彼に追い打ちをかけるように、右大腿切断の連絡をした内定先から、内定取り消しの通知が届きます。しかしここでの、彼の切り替えが見事です。もちろん、こんな簡単な過程ではないことは分かっていますが、「脚がなくなっても、死んだわけちゃうし!」と友人に励まされ、「それもそうやな、落ち込んでいる時間がもったいないわ」と考えるのです。

 

右脚を切断して1カ月後の仮退院時に、彼は地元・奈良のチームに車いすバスケの体験に出かけました。そして、この競技に自分の人生の再スタートを重ね、のめり込んでいくのです。

 

そして、メキメキと実力をつけていった彼は、強豪チーム・伊丹スーパーフェニックスに移り、パラリンピック出場を目標とするようになり、日本代表に選出され、2019年度のアジアドリームカップでは、見事優勝しています。その後、アスリート採用枠を設けている当グループと接点が生まれ、現職につながります。

 

 東京パラのメンバーには入れませんでしたが、次のパリ大会を目指し、今日もトレーニングに汗を流しています。クラウドファンディングが目標に到達し、彼の意欲もさらに高まっていることだと思います。

 

 

 

松田 颯<フリースタイル モーグル>

 彼のことを話すには、まずは勝田紘史院長についてお話する必要があります。彼との接点は勝田院長から生まれたからです。勝田院長は、実は私の娘婿になります。学生時代に娘と知り合い、卒業後に結婚しています。ご実家は和歌山県紀の川市粉河にある勝田胃腸内科外科医院で、すでに3代続く安定した医療機関を運営されています。彼は次男であり、整形外科に進んだことから、ご両親のお許しを得て、20117月に島田病院(当時)に副院長として就職してもらいました。

 

 そもそも日本では、医師になるには大学(医学部)を卒業しただけではダメで、医師国家試験に合格しなければなりません。卒業しても国家試験がうまくいかず、浪人として2年目、3年目に合格する人もいます。彼は卒後すぐの試験に合格したのですが、そこで、1年間、その時にしかできない自分のしたいことをさせてくれとご両親に直談判し、あることに挑戦したのです。

 

 それが、スキーのモーグル競技でした。オリンピック選手になるため、夏は南半球で、冬は北半球で練習を積み、代表への道に挑んだのです。残念ながらその目標には到達できなかったのですが、その経験が活き、整形外科医、ことにスポーツ選手の診療に自信が生まれてから、20187月より全日本スキー連盟の競技本部専門委員、情報・医・科学委員 Division.3担当に就任し、合宿や国際試合への帯同をしています。つまり、モーグル競技の選手たちのかかりつけ医になっているのです。同時に、国内にいる間の選手たちのトレーニングについては、ヴィゴラスで、理学療法士やトレーナーによる指導を行っています。

 

 実は、この競技で2019年まで9年間世界のトップに君臨しランキング1位を守っていたのがカナダのMikaël Kingsbury選手ですが、その彼に挑戦し、時に破って、ライバル関係にあるのが、堀島 行真選手です。この世界を争う選手たちもヴィゴラスで汗を流し、トレーニングに励んでいます。

 

そんな関係から、これから伸びゆく選手を支えるということで、松田選手と当院は20201021日にアスリート契約を結びました。その後、彼は20213月の全日本スキー選手権のモーグル競技で1位に輝きました。来年の北京の冬季オリンピックに向け、集中して準備を行っているところです。

 

勝田院長は202151日よりこれまでの肩書きに加えて、フリースタイル強化スタッフに入り、正式に国を代表する選手たちの強化を担当することになりました。その意味でも、松田選手を含めすべての日本人選手の活躍を祈りたいところです。

 

 

 

 以上、3名について、簡単にご紹介しました。私たちの仕事は、身体の問題があり困った事態となって、受診されたところから始まります。通常の医療はお話を聞き、触ったりして診察の上、検査などを行って正確に診断し、その結果に基づいて治療方針を考え、協議のうえ実行して改善を図るというのがその中身になります。しかし、はぁとふるグループでは、こうした「治す」という過程だけではケアは不十分で、完結していないと考えています。「治し、支える」がモットーなのです。

 

 つまり、痛んだ箇所の修理が終われば、お役御免ではなく、元通りの、さらにはケガする前以上のパフォーマンスが発揮できるよう、選手をサポートするのも業務のうちと考えています。

 

 ここでご紹介した3名のアスリートはそれぞれが大きな課題を抱えながら、目標を見据えています。その活動に、今回の皆様のご支援により完結したクラウドファンディングでの援助がどれほど力になるか、ご協力いただいた皆様のご厚情は本当にありがたく、心より感謝申し上げる次第です。これからも、どうか彼らを見守り、支え続けていただきたいと願っております。本当にありがとうございました。