前回、その前と池江璃花子選手の奇跡的なオリンピック出場切符の獲得というニュースから、医療者の「治す力」と、ご本人の「治す力」について書きました。それは、人間の持つ回復力に焦点を当てたものです。ことに目標を持っている人の強さについて、強調しました。

 

しかし一方で、自然災害や今回のような新興感染症、またがんや難病といった医学的に完全には克服できていない状況や疾患は、まだまだ身近に存在しています。そして、そのためにどれほど治療チームが最先端の技術を駆使し、ご本人の明確な目標によって、辛い治療に耐える意思が揃っていたとしても、反応しないことだって起こりえます。

 

 私は、運動器という身体を動かすことを役割としている器官を専門として、診療を続けてきました。そのため、直接命の危機に直面する事態はあまりありません。それでもどんなケガや病気でも、最高の医学的な技術によって運動器の故障の治療がうまくいき、ご本人の意思や努力が積み上げられても元通りの活動ができない例も経験しています。つまり、治療によって普通の生活は問題なく過ごしても、本人が望むレベルでスポーツ活動を行うことができない場合も決して少なくないのです。

 

 そんな時、担当医として元のようにスポーツ現場に戻すことができないということを、どのように説明したらご理解いただけるのか悩みます。しかし、事実は事実、どんなにオブラートに包んでも、どんなに上手に表現しても、ダメなものはダメで、その理不尽さと自分の無力さにやるせなくなるのです。それでも生活自体は可能なのですから、別の目標を見つけていただけると、ホッとします。

 

 一方で、これが命に関わることとなるとそうはいきません。何でこの人に、このような病気が、と絶句する気持ちになることは決して珍しいことではありません。

 

 たとえば、NHK20201月に放映された「心の傷を癒すということ」で取り上げられたある精神科医の生き様があります。彼は安 克昌(あん かつまさ)さんです。神戸大学医学部を卒業後、精神科に進み、母校の精神神経科で助手を務めていた1995年に阪神・淡路大震災が発生しました。自身も被災しながらも、ご自分の職業を活かし、避難所などでカウンセリングや診療などの救護活動を行います。そしてその後、被災者の心の状態について「被災地のカルテ」が新聞に連載されました。それにより「心のケア」や「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」といった概念が広く認知されるようになったといわれています。

 

ところが、社会的にも大きな影響を与える活動をしていた彼を、肝細胞癌が襲いました。病気が進行していることを知った彼は入院による診療を選択せず、第3子を身ごもった妻と2人の幼い子供と一緒に、できるだけ自宅で過ごすことにしました。いよいよ出産となり、妻を産院へ送り出して、無事に第3子が生まれた2日後に息を引き取りました。1960126日生まれの彼がもう少しで満40歳になる直前の、2000122日のことでした。

 


 

 どうでしょう、あんまりではありませんか。なぜこんなことが、と誰でもその状況をすぐには飲み込めず、納得できない気持ちになると思います。でも、それが現実です。

 

私はいろんなご縁で、脊髄小脳変性症という神経難病の患者さんやご家族との交流を、関係団体を通じて続けています。身体を動かし、使うという健康な人にとって当然のことが、徐々にできなくなるという病気です。根本的な治療法は現在までに見つかっていません。その彼らに、神経の病気については素人同然の運動器の医師に何ができるというのか、いつも頼りない気持ちになります。会えばただ「動かなくては、より早く動けなくなりますよ。だから、今できることが明日もできるように、動く努力を続けましょう。」とアドバイスをするだけです。

 

ある時、親しくなった方に尋ねました。「整形の医者って、病気のことが詳しいわけとちゃうしなぁ。みんなのために何にもできへんやろ。そやのに、この会にずっと参加しているけど、ええんかいな。」するとその人はニコッと笑って、「先生な、いつも笑うてくれるやろ。その顔見たら、なんやシランちょっと元気になるねん。せやから、これからも来て欲しいで。」と言ってくれたのです。

 

改めて、私の役割が確認できました。身体についての現状を劇的に変えることなど、誰にもできません。ただ、その状況を知っていること、理解していること、そして、いつも応援していること、何かあればお手伝いをする準備があることなどが伝われば良いのだということだと思いました。私の友人のアメリカの看護師が、医療者に必要なこととして、Always be positive.(いつも前向きでいること)と話していたことを思い出します。これが医療者の「癒やす力」の元になると思っています。

 

 また、理不尽で納得できない非情な事態になっても、本人もご家族も、受け止める勇気と切り替えが大切なように思っています。それは「癒える力」とも表現できるかもしれません。仮に本人が亡くなった場合、残されたものにとってその喪失感が薄まることはありません。折に触れ、思い出されるに違いありません。それでも、いつまでも下ばかり向いていては良くないと思うのです。自分自身が生き抜く力がそがれてしまうように思います。

 

 例に挙げた安克昌先生の著書「心の傷を癒すということ 神戸…365日」を原案に劇場版の映画が作られ、1月末から順に全国での公開となりました。安先生をモデルとした主人公の安和隆役を柄本佑(えもと・たすく)さん(34)が演じています。彼はMovie Walkerのインタビュー( https://moviewalker.jp/news/article/1018498/ )の中で、こう話しています。

 

「濱田岳さんの演じた湯浅先生のモデルとなっている方に、『心の傷を癒すって、どういうことなんでしょうか?』と聞いてみたんです。そうしたところ、『安先生ともよく、“心の傷は癒すんじゃなくて、癒えるんだよな”という話をしていた』とおっしゃっていて。『1日で心を開いてくれる人もいれば、1か月経っても、2か月経っても心を開いてくれない人もいる。相手に寄り添って、その方が話をしてくれるようになるまで待つしかない』とお話されていました。」

 

 「癒える」のを待つ人がきっと「癒やす力」を持った人なのでしょうね。ですから、癒やしてくれる周囲の存在と同時に、自分で自分を「癒やす」こと、つまり「癒える」ように、強さというのか切り替えというのか、そういう部分を持つことが必要なんだなぁと思っています。

 

 それにしても、進歩したとはいえ、さまざまなことに対して医学はまだまだ無力です。その分、人が持つ得体の知れない「力」がとても大切なのだと、再確認しています。