今年は桜がずいぶん早く開花しました。
満開の桜も葉桜に変化しています
道行く人が風に舞う桜吹雪に思わず上げる歓声や
足元に降り積もる桜の絨毯に
変わらぬ自然の営みの奥深さを味わっています
COVID-19が再び増加して揺れる日々ですが
世界各国で試行錯誤の対応をしながら乗り切ろうとしています
季節の移ろいを味わいながら
できる予防対策を実行しながら
気がかりなことが私の中にたくさん浮上します
そのひとつに予防という考え方のプラスとマイナスがあります
COVID-19に関して政府による緊急事態宣言が発表されるや
罹患者や罹患者にかかわる人々への非難の声が起き
予防対策行動が浸透するほどに
自粛警察と呼ばれるような動きが起き
準じないていないように見える人々への非難の視線が増す
このような報道が出始めた昨年のあるとき
かつて感じた違和感を思い出しましまた
それは当時危険地域とされる国で人質にとらわれた方が
無事に解放されたとたんに起きた非難、中傷、バッシングのことです
なぜ非難の矛先が
罪もない人間を人質にして脅かす行為に向かわないのでしょう
正当な理由なく死の危険にさらされた方が
自己責任を問われるとはどういうことなのでしょう
その地域に入国しないよう予防対策が告知されていたことと
無関係ではないと思えます
どんな物事にも両面があることをしばしば考えます
プラスがあれば必ずマイナスがある
これが世界のありようなのですね
予防という考え方は
正しい知識と理解をもたらす機会です
いたずらに怯えるのではなく
対象を明確にし、その性質を知り
実際にリスクを減らす可能性を高めるプラスがあります
一方で私がマイナス面だと考えるのは
具体的な対策ばかりに目が向きやすくなり
リスクが存在している意味に目を向ける過程を損なったり
リスクに見舞われることを悪いことだというような風潮や
自己責任と混同するような排他的な差別感情を生みやすい
と言えるでしょうか
私の母は認知症です
事故で半身不随になった知人がいます
難病に罹患している友人がいます
障碍を持つ知人がいます
外見からは見えない症状に苦しむ知人がいます
誰もが望んでそうなったのではありません
あなたや私がこうならない保証もありません
どんな状態であっても
そのままで生きられる社会を目指したい
助けられたり
助けたり
困ったとき
弱ったときに
人に助けてもらったり
弱音をはいたり
誰もがそのままで生きていかれる社会を創っていきましょうよ