「猛暑の中の哲学的考察」
バッチリメイクをしたおしゃれな女性とすれ違ったのだが、ちょいと気になった。
いかにもだりぃ〜何もかも嫌・・・という感じだったのだ。
おかしい!私の第六感がアラームを鳴らした。
バッチリメイクでおしゃれというのは、外向きな自己アピールではないか!?気分は、「美しい私を見て!」のはずだ。
一方、「だりぃ〜何もかも嫌・・・」は、内向きな抑うつ的な心理ではないか!?
彼女は自己矛盾しているのである。
自己矛盾の原因は、解離か?メイクをして服を選んでいる時に躁転していただけで、実はデフォルトがうつの人なのかもしれない。
という哲学的心理学的思考をしながらすれ違い、彼女に心療内科を勧めようかと思い始めたとき、賢明な私は、自分自身の論理的欠陥に気づいたのだ。
確かに「美しい私を見て!」という気持ちは彼女の中に存在するのだろう。しかし、それは全世界に向けたものではなかったのかもしれない。特定の誰かに見て欲しかっただけという可能性も多分にある。
私とすれ違ったとき、セッティングができていなかったのだ。つまり、私は、「見てほしい」対象ではなかったのだ。そのことに気づく私は、なんと冷静沈着なのであろうと、思わず自分で自分を褒めた。
このように、仮説1「彼女は『美しい私を見て!』と思っているはず」に仮説2「だから、私にも見てもらいたいはず」を重ねてしまうと、事実とずれ始める。さらに仮説3「見てもらいたいのにだりぃ雰囲気だったのは、彼女は自分の本心を隠したかったということだろう」を乗っけて、そこから仮説4「つまり、彼女の本心は私に声をかけてもらいたがっているのだ」が加わると、もはや・・・。
危ないところであった。
最も有力な仮説1Bは、前述したように「私は、『見てほしい』対象ではなかった」になる。幸い、すれ違う直前直後で彼女の表情は全く変わらなかった。それは良いことだ。「嫌悪と憎悪の表情を向けられる」、「悲鳴をあげて逃げ去られる」よりは、だいぶましだ。
私は、彼女にとって空気のような存在、あるいは、そば屋の前に置いてある信楽たぬきの置物程度の存在だったのかもしれない。
まてよ・・・?
彼女の「だりぃ」は、単に全てを溶かすような猛暑だったからではないか???
むむむ・・・哲学的考察は続く。
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