「大本営発表を作ったのは・・・」
大本営発表は、大衆が作ったのかもしれない。大衆の確証バイアスが暴走し、そのエネルギーが軍部を動かしたという要素も大きいのだはないかと思います。
大本営にいた人たちは、上層部に忖度しただけではなく、大衆からのプレッシャーも恐ろしかったのではないか・・・って思うんです。
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大本営発表は、大衆が作ったのかもしれない。大衆の確証バイアスが暴走し、そのエネルギーが軍部を動かしたという要素も大きいのだはないかと思います。
大本営にいた人たちは、上層部に忖度しただけではなく、大衆からのプレッシャーも恐ろしかったのではないか・・・って思うんです。
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「勝海舟と大都会」
倉本聰さんは、1974年に大河ドラマ「勝海舟」の脚本を降板、1976年に日本テレビ「大都会」の脚本をパート1で降板。大都会は毎週見ていましたけれど、普通の刑事物と違って、切なさや哀しみを感じさせるドラマだったと思います。しかし、多分制作側からだと思いますが、「もっとアクションシーンを」という声があったらしいです。父は「今のままがいいんだよ」とも言っていたのですが、倉本さんは去り、その後番組の雰囲気がすっかり変わってしまいました。
いい番組を作っているのに、うまくいかない。あの頃、苦しかったのかもしれませんね。
そして、1977年に富良野に移住。1981年から「北の国から」が始まるわけです。
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「夜郎自大と排外主義」
明治維新から日本は頑張って、世界の一流国の仲間入りと言われたとたん夜郎自大になり、その後40年して敗戦国になりました。そのあとエコノミックアニマルと言われながらも頑張って、ついにジャパン as No.1と言われるようになったのですが、その気になって浮かれていたら、やがてバブルが弾け、そのあと立ち直れていない。
それでも日本にはおもてなしの精神がある。それに海外が気付き、日本はサービスが素晴らしいと言われたのはいいが、自ら「お・も・て・な・し」なんて言っちゃってアピールしだしたら、だんだんずっこけるようになった。それだけではなく、排外主義が横行するようになった。排外主義は、おもてなしの逆の行為。たとえ外国人が非常識なことをしても、おもてなしが上手いのなら「外国人は帰れ」なんて言わない。排外主義が強くなったら、誰も日本を「おもてなしの国」とは見なくなるでしょう。
傲慢になると失敗する。謙虚で勤勉だったら成果がついてくる。・・・ってことかなと思います。
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