「「だからあれほど言ったのに」 内田樹 著 マガジンハウス新書」 

日本人は協調的だと言われてきて、僕もそれを信じていたことがありました。でも、それは、僕が高度成長期に幼少期から青年期を過ごしたからです。1億総中流なんて思っていたら、いつの間にかジャパンアズNo.1。分配するためのパイはどんどん大きくなっていきました。

 

みんな仲良く、終身雇用で年功序列。会社同士で競争するのもなんですから、ここは談合で・・・と、バブルの頃はそんな感じでした。

 

しかし、バブルが弾け配るパイも縮小し始めた途端、年功序列も終身雇用の協調的システムもあっという間に瓦解し、談合はもってのほか、競争見積もりで経費節減。おかげでデフレスパイラルまっしぐら。切られるのは、弱いものが優先。非正規雇用のシステムを作って、自分たちだけでも生き残ろうとする。非正規の賃金を抑えれば、取り合えず経費節減の成果は出る。なにしろ、成果を出すのが一番です。半年毎に、「私はこんなに頑張りました」と自己愛的アピールをすれば、自分の評価は下がらない。誰かが切り捨てられるのなんか知ったことではない。自分が生き残るので精一杯なんだから。

 

今の日本は、そんな感じだと思います。

 

内田さんの言うように、「現代日本の際立った特徴は、富裕層に属する人たちほど「貧乏くさい」ということである(p.38)」と言うことなのでしょうか。ちなみに、「貧乏くさい」というのは「経済状態のことではなくて、心の貧しさのことである。他人の富裕を羨むのもそうだし、自分のわずかばかりの財産をしっかり退蔵して、誰とも分かち合わないのもそうだ。(p.35)」とのことです。

日本人は、放っておくと自分の一族さえ良ければ、それが無理なら、自分さえ良ければ、という意識に固執しがちな民族だと思っています。

 

それに、ブレーキをかけるのが、内田さんの言う「超越的なものに対する敬意」だったのかもしれません。「お天道様が見ている」という意識がありましたし、暗闇の向こう側には妖怪がいました。

 

しかし、今の世の中「超越的なもの」に対して、ほとんどの人たちが敬意を払いません。全ては、偏差値、効率、生産性という無味乾燥なパラメーターの下にジャッジされ、その物差しで測れないものは、なき者として無視されます。

この流れが続いていくと、人口が減少しインフラ整備の経費のかかる地方は荒廃し、都市部に全てが集中し、福祉予算は削られ、弱者は見捨てられることになるでしょう。

 

「資本主義は「大洪水」が来るまでひたすら暴走し続ける。その暴走の余沢に浴して私腹を肥やそうとする「せこい」人間たちを巻き込んで……。(p.56)」というのが、このまま何もしなければ、必然なのかもしれません。

 

僕は、「分散」がキーだと思います。

 

巨大スーパーじゃなくて、昔の小売店が集まるような商店街、都市部一極集中ではなく地方分散がいいと思いますが・・・。

そして、「無防備であっても傷つけられるリスクのない場」である「アジール」がたくさん増えていくことを望みます。それでこそ、多様性が担保され、長期的には創造性を生むと、僕は考えます。しかし、それは、なかなか困難な道でしょう。

 

 

 

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