「殿様・お姫様は「明治」をどう生きたのか? 河合敦 著 扶桑社ムック」 

徳川慶喜の側室の新村信、中根幸は、それぞれ10人ほどの子どもを産む。それ以外に、新門の辰五郎の娘芳も側室。徳川がもし1000年続いたら、日本中、徳川一族になってしまうんじゃないですかね?ところで、慶喜は、信と幸とずっと一緒に暮らし、寝室も一緒で、川の字じゃなくてYの字で寝たのだそうです。就寝中に敵からどの方向から攻撃を受けても対応できるように工夫したという話です。

 

上総国請西藩主林忠敬は、藩主でありながら自らが脱藩して、薩長と戦い、敗れ、その後、農民、下級役人など職を転々とした。しかし、92歳まで長生きし、最後の大名となりました。上総国請西藩は、今の木更津あたりで石高は1万石でした。

 

明治になってから隠遁生活に入る殿様が多かったのですが、中にはとても有能で国の中枢に残り続けたお殿様もいました。

 

例えば伊達宗城は、卓越した外交戦略を駆使したとされ、外国官の知官事、今で言う外務大臣として活躍し、一時は、他の雄藩大名とともに名誉職に退きますが、すぐに復帰し、大蔵省と民部省を兼ねるトップ(卿)に就任、その後も深刻との通商条約締結に尽力します。伊達この本には触れられていませんが、宗城の宇和島藩は、ペリー来航後数年で日本人だけ(船体担当:大村益次郎、エンジン担当:嘉蔵)で黒ぶねを作っちゃった藩です。これも伊達宗城のリーダーシップがあったからかもしれないなんて思いました。エンジン担当の嘉蔵は、提灯張り、かんざし、人形の修理などをして生計を立てていた職人です。教育も何も受けていない嘉蔵を担当者にした伊達宗城は、大した人なのでしょう。

 

興味深いのが、幕府側の大名の多くが、最終的に華族に列せられていることです。この辺、日本的なのかもしれません。敵を殲滅するんじゃなくて、最後は許しちゃう。海外だったら、こういうことはあまりないのではないかと思いました。

 

逆に、新政府側の中心人物の中には、穏やかな晩年とはいかないケースが多いように思います。山内容堂は、不貞腐れて酒と女の日々になって、体を壊して46歳で死んでしまいますし、この本では触れられていませんが、西郷隆盛は西南戦争で敗れ、大久保利通や伊藤博文は暗殺されています。

 

人生、先に何があるのかわからないものですね。

 

 

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