「「君が戦争を欲しないならば」 高畑勲 著 岩波ブックレット No.942」 

高畑勲さんは、戦争がもたらした惨禍と悲劇を描いたジブリの映画『火垂るの墓』を作った人です。その彼が、『火垂るの墓』のような話をいくら語っても、「将来の戦争を防ぐためには大して役に立たないだろう」と考えているのです。

 

高畑さんは「民主主義教育を受けたはずなのに、私たち日本人は、西洋流の個人主義的な、周りが反対であろうと、一人ひとりが自立して考え、ちゃんと意見を述べたうえで、議論をして深めていく、ということは全然できていません(p.49)」と言います。僕も、その通りだと思います。

 

最近の出来事をみても、例えば、福島の原発事故と再稼働の問題、コロナをめぐる社会の動きなど、もりかけ問題、統一教会の問題など、本来議論すべき事柄が、十分な議論もなされないまま、なんとなくうやむやになって、いつの間にか方向性が決まってしまいます。

 

先の戦争に突入して行ったのも、国に強制されたから、本当は戦争に反対だったのだけど、「心ならずも」戦争に加担した・・・というわけではありません。そのときどきの「世間様」が大事だから、世間様の作り出す空気に従ったのです。

 

ずるずると、自分の周りの世間様に従ってしまう・・・この体質を高畑さんは「ずるずる体質」と呼んでいます。「反対勢力がないし、決断をもって次に移る、あるいは局面を正しいほうに変える、ということができない(p.52)」のです。

 

僕は、「反対勢力」は、少数ながら生まれてくるが、その少数意見が尊重されることがないということかと思います。「ずるずる体質」が、「まあ、そうコトを荒立てなくても」と反対者たちを説得する空気を作っていくのかと思います。

 

だから、「心ならずも」ではなく、自らの意思で空気に従っていくのだろうと、僕は考えています。

 

空気に従うのですから、そこに責任者はいません。だから、誰も責任を取らないのです。

 

責任を問おうという動きが出たら、「まぁまぁまぁ、そうカリカリしないで、みんなで仲良く乗り切っていきましょう」みたいな感じになることがほとんどなのではないかと思います。

 

全てがうやむやになって、誰も責任を取らないことを「良し」とするのであれば、高畑さんのいうように、日本は、「戦争のできる国」にならないように憲法で歯止めをする必要があるでしょう。

 

僕も、日本の「ずるずる体質」→「世間様への迎合」→「世間様の絶対化」→「破綻」→「責任の不在」の流れを変えていかなければと思います。

 

そのためには、対等の立場で意見を交換し、反対意見を頭から否定するのではなく、その根拠や真意を聞こうとする姿勢を持ち、合意形成ができなければ、結論を保留する勇気を持つ、「対話」の姿勢が広く行き渡る必要があるかと思います。

 

 

 

 

 

 

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