「「十二月八日」 太宰治 著 青空文庫」

高橋源一郎さんの「ぼくらの戦争なんだぜ」で紹介されていた太宰治の「十二月八日」を早速読んでみました。

 

面白い。ある意味痛快です。 

 

1941年12月8日、あの真珠湾攻撃の日の普通の主婦の1日の日記という体裁で書かれた小説です。

 

主人公の主婦の、「きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。もう百年ほど経って日本が紀元二千七百年の美しいお祝いをしている頃に、私の此の日記帳が、どこかの土蔵の隅から発見せられて、百年前の大事な日に、わが日本の主婦が、こんな生活をしていたという事がわかったら、すこしは歴史の参考になるかも知れない。だから文章はたいへん下手でも、噓だけは書かないように気を附ける事だ。」という言葉から、小説が始まります。

 

重大ニュースの数日前の夫と友人の会話は、のんびりしたものです。日米関係が切羽詰まっているこの時期に、前年に行われた紀元2600年の記念祭をネタに100年後はどうなるんだろうなんて話をしています。

 

その部分を引用すると:

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先日、主人のお友だちの伊馬さんが久し振りで遊びにいらっしゃって、その時、主人と客間で話合っているのを隣部屋で聞いて噴き出した。

「どうも、この、紀元二千七百年のお祭りの時には、二千七百年(にせんななひゃくねん)と言うか、あるいは二千七百年(にせんしちひゃくねん)と言うか、心配なんだね、非常に気になるんだね。僕は煩悶しているのだ。君は、気にならんかね。」

 と伊馬さん。」

・・・中略・・・

「しかしまた、」主人は、ひどくもったい振って意見を述べる。「もう百年あとには、しちひゃくでもないし、ななひゃくでもないし、全く別な読みかたも出来ているかも知れない。たとえば、ぬぬひゃく、とでもいう――。」

 私は噴き出した。本当に馬鹿らしい。主人は、いつでも、こんな、どうだっていいような事を、まじめにお客さまと話合っているのです。

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この会話、取りようによっては、政府・軍部、そして大衆の馬鹿騒ぎを皮肉っているようにもみえます。

 

ラジオの重大発表以降、世界は一変したようになります。主人公の主婦は、「強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ」になり、「日本も、けさから、ちがう日本になったのだ」という感覚を持ちます。

 

しかし、同時にどこかで日本は大丈夫なのか心配になり夫に尋ねるのですが、夫は、「大丈夫だから、やったんじゃないか?かならず勝ちます」と妙によそいきの言葉で答えます。この「よそいきの言葉」は、社会の言葉であって、夫の言葉ではないのでしょう。

 

その日、早くも燈火管制があり、主人公の主婦は子供を背負っての銭湯からの帰り道は、真っ暗な中不安になります。

 

そんな時、後ろから足音が近づいて、誰かと思ったら、夫で、夫は、「お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなお白昼の如しだね。ついて来い。」と、どんどん先に立って歩いていくというシーンでこの小説は終わります。

 

実際その後、日本は、真っ暗闇になります。

 

この小説は、真珠湾攻撃の直後に書かれ、翌年初頭に出版されています。

軍も政府も、この小説に巧妙に隠された、太宰の反戦の意思に気づかなかったのでしょう。

 

 

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