一石何鳥が動くー147「コノハナサクヤとイワナガヒメの統合」 | 「彩どり師の仕業」今様の巫女的生き方の心得指南いたします

お読みいただきありがとうございます。

人生の彩どり師・関みゆ紀です。



一石何鳥が動くー146「ぜんぶ、寒川レイラインのせいっ」の続きです。



2022年11月3日・旧暦10月10日。

寒川駅のホームとホームを繋ぐ橋で観たものは、

木花咲耶姫(富士山)と磐長姫(縄文)でした。







「アイするカタ」の「サ神=相模」の國。

「サ神」は田の神・稲の神・穀霊であり、

田植えの頃里に山から降りて来て、

サクラの木に宿り、耕作が終わると山へ帰る。

コノハナサクヤヒメと手を結んでいます。



「相模」の國は、昔、

「しなが・磯長(師長)」の國と「さがむ・相武」の國に

分かれていました。

この図を観ていた時に氣が付いたことがありまして。

ここからこじつけルンバです。







あれ?「磯長」って「磐長姫」の意味持ってないかい?って思ったんです。

「磯」は「イソ」とも読み、「五十」を表わしています。

「五十猛・イソタケル」と読みますよね。

また、「五十」は、「イワ」とも読みます。

五十音はイワオトです。

よって、「イソ≒イワ」が長いは、磐長姫となります。







そうなると、「相武」はどうなるか。

「武」の「タケ」とは、長け・竹・丈・岳・嶽で、

「山」の意を表してる音なんですね。

「寒川神社」は北緯35.22度のご来光のレイラインで

「富士山」と同一線上にあり、

「相武」の「相する山」とは「富士山」を指します。







とすると、相模の國って、「磐長姫」と「木花咲耶姫」が

「相(アイ・天意・愛・合)してる模(カタ・形・型)の國なんだなって。







「天王星の食」が過ぎて、ダークマターはますます動いておりまする。

2020年3月6日にあやちゃんからこんなメッセージをいただいておりました。

「アクシアの森」は知ってるなぁと、しみじみと実感します。

まきちゃんと「クシナダヒメ」と「寒川神社」を繋ぐ

「六所巡り」をする、ちょうど一ヶ月前のことでした。







こういうことかな?







木花咲耶姫は瀬織津姫の「分け神」とは納得です。

だって、2年後に瀬織津姫は一柱ではないと

伝えてきているのですから。

一石何鳥が動くー91「瀬織津姫の正体」








結局は縄文意識・・・。

寒川レイラインを辿っている。

これ、どういうことなんだろうって。

神社に行くと必ず「歴史」に向き合うことになります。

結局、神社に残されてる土地の記憶を解きにいっているのだなぁと。

「富士高天原王朝」というのがあるらしいのですが、

裏になってる、隠されてる歴史、そういうのがあって、

そこに意識を向けないと風通しがよろしくないから

「むすんでひらいて」が行われないのでしょう。

「ダークマターが動いてる」とは、顕在意識に浮かんでこない、

潜在意識・集合意識のことを示唆していると思いますので、

(瀬織津姫のいう、民族意識・意識体・和の國の意図)

歴史もダークマターの内に入っているものだとすると、

そこに蓋をしたままだと、認識されないままだから、

同じ繰り返しのパターンを辿るんだと思うんですね。

「反省の心」が次の問題を解決します。

到達点は「天意・愛」という進化(神化)です。

ところが、歴史がわからないと、何に反省していいやら、

ボケたフォーカスのまま進んでいきます。

氣付きが起こらないから、解像度が低いままということです。

見えないチームの繰り出す「禅問答」「謎掛け」により、

時に足を運び、そこの空氣を感じ、

自らが歴史を調べること知ることを促されてるなぁって。

フワフワとした地(智)に足が着かない

ファンタジーで綺麗事のみのスピリチュアルの世界に

偏らないようになんでしょうね。

考える力と感じる力の統合でもあるのかなぁ。

「猿の反応の型出し」関みゆ紀はそう感じてます。



まきちゃんが受け取ったレムリアのメッセージ。

柴犬と縄文回帰14~レムリアの次へ①繋がりのメッセージ | 在り方をととのえる/天眞音・クルール





レムリアって何?

愛と調和で成り立つ世界であり、

高次元の存在に近いレムリア人には、

所有の概念を超え、自分と他者との境界がなかったとな。

「ア・たたかい」世界だったのね。

なるほど、だから、ダークマターが動いているのだな。

「天王星≒高天原」の食は、その節目でもある氣がする。

でも、レムリアがなぜ沈んだのかの「問いと解い」を

自らに持つことも次のステップ。

それが螺旋の進化だから。

そのヒントが寒川神社にあるのでしょう。

これ、私の主観の世界ですからね。







私の場合は、身近な「アイするカタ」である、

夫と手を掬び結ぶプロセスが、

私の中で分離・乖離しているものとの統合に繋がってるのだと思います。

私の意識が、分断も統合も、創っているのだと自覚と覚悟を肝に銘じながら、

こうやってこじつけと思い込みと勘違いを綴り続けています。

私と和多志の宇宙に境目がないことに

氣が付き掘り下げておくことなんだと思う。

その為の「アイするカタ」の場にある「寒川神社」だったんだなぁ。

というのが、今の心境です。



一石何鳥が動くー148「西陣の日の織姫の祭り」に続く。







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