息子の障がいを受け入れる事ができないまま、出産を迎えました。
妊娠中は暗いどん底にいたので、やっとここまできたという感じでした。
どうあがいたって現実は変わる事がないのに、自分勝手な考えで、周りに迷惑をかけてばかりいました。
産婦人科の先生の他、小児科の先生、息子の胎児診断をした主治医など、息子が産まれたらすぐ治療できるようにたくさんの先生方が待機してくれていました。
主治医は柱の影からチラチラ👀こっちを見ながら待機してて
わたしは、ただただ、どんな子が産まれるか怖いと思いながら産みました。
先生方が息子の処置をしてくれて、抱っこさせてくれ、すぐNICUに運ばれました。
産んでから、息子に対して、わたしはどこか他人事のようなところがありましたが、様々な検査や医師の見立てで現実を突きつけられて、心が折れ、息子のところに面会にいけないときもありました。
旦那はそんな私に、
息子、可愛いよ
と言ってNICUで頑張っている息子の写真をニヤニヤ見ながら、名前を決めていました。
正直、わたしにはできないと思いました。
喜びのはずの出産が私には違うものとなりました。
わたしはこのような気持ちで息子を産んだことを今後も忘れてはいけないと思うし、産んだ時の気持ちを美化してはいけないと思っています。
疾患が落ち着いた後も、癇癪や問題行動などもたくさんあり、脱走して大きな道路の前にサンダル姿でいたりして、ヒヤヒヤしたことも。
命の危険は疾患だけじゃないんだ、発達障がいはとても大変だと思いました。
息子や私たち家族は、本当に色々な方に助けてもらいながら生活しています。
息子の命を守ってくれています。
本当に感謝の気持ちでいっぱいです
息子は無事に今年も誕生日をむかえました。
いつも、ありがとう
一緒にいてくれてありがとう
大切に育てます。
次回より息子の4歳当時の様子に戻りたいと思います