こんばんは。

 

 

今日から4月ですね。

 

新しいカードを迎えました🐈

 

 

◆キャットグルカード

 

 

箱の裏には、

 

 

世界中の猫のグル(指導者)から

アドバイスを受け取って、

あなたの人生を変えましょう。

 

 

と書いてあります。

 

 

 

 

 

 

 

このカードに慣れるまで

少しコツが要りそうですが、

ゆっくり仲良くなっていきたいと思いました三毛猫

 

 

 

 

先程、OSHOアクティブ瞑想

ナタラジ瞑想を

クライアント様とご一緒しました。

 

 

 

アクティブ瞑想は、

現代人に合わせて作られた瞑想法です。

 

 

なぜアクティブな瞑想が必要なのですか?

現代人というのは、全く新しい現象だ。現代人の様な人は、今まで決して存在したことがなかった。だからどんな伝統的なメソッドも、厳密には彼らに用いられない。つまり言ってみれば、すべての伝統的なメソッドは適切でなくなってしまった。

例えば、身体は大きく変化した。とても汚染され、どんな伝統的なメソッドもその助けにはならない。今、地球をとりまく環境全体が人工的だ。大気、水、社会、生活をとりまく状況、何ひとつ自然ではない。あなたは人工的な環境の中で生まれ、その中で育つ。だから伝統的なメソッドは、今日では有害だと証明されるだろう。それらは、現代人にあわせて変化させなければならない。

もうひとつのことは、マインドの質が基本的に変化したことだ。パタンジャリ(もっとも有名なヨガの注釈者)の時代には、人びとの人格の中心は頭ではなくハートにあった。それ以前は、ハートでさえなかった。それはもっと低く臍に近いところ、あるいは、臍よりも更に低いところでさえあった。いまや、中心は頭にある。だから、クリシュナムルティのような教えが気に入られるのだ。どんなメソッドも、どんなテクニックも必要ではなく、ただ理解だけだ。しかし、もし言葉の理解、知識だけだとしたら、何も変化せず何の変容も起こらない。それは再び、ただの知識の堆積になる。

私は、整然としたメソッドよりむしろ混沌としたメソッドを使う。なぜなら混沌としたメソッドは、中心を頭から下げるのをとても助けるからだ。どんな系統的メソッドも、中心を押し下げることはできない。なぜなら、系統化することは頭の働きだからだ。系統的メソッドによって頭は強められ、もっと多くのエネルギーがそこに注ぎ込まれるだろう。混沌としたメソッドをする時、頭は無用だ。それは、頭とは何の関係もない。メソッドがあまりにも混沌としているので、中心は自動的に頭からハートに押し下げられる。もしあなたが、 ダイナミック・メディテーションという私のメソッドを、力強く、無秩序に、混沌と、行なうならば、あなたの中心はハートに移動する。その時、浄化は起こる。

浄化は必要だ。なぜなら、あなたのハートは頭の為にとても抑圧されているからだ。頭があなたの実存の中であまりにも優勢になり、それがあなたを支配している。ハートにはどんなスペースもなく、その切望は抑圧されている。あなたは決して心から笑ったこともなければ、心から生きたこともないし、心から何かをやったこともない。頭がいつも系統化しに、物事を数学的にするためにやって来て、ハートは抑圧される。だからまず最初に、意識の中心を頭からハートに落とすため、混沌としたメソッドが必要となる。

だから、ハートの重荷を降ろすために、ハートの抑圧を解き放つために、ハートを開くために浄化が必要だ。もしハートが軽くなり重荷が降りたら、意識の中心はますます下に押される。それは臍に落ちる。臍は活力の源だ。そこからすべての他のものがやって来る、種の源だ。身体、マインド、そしてすべてが、そこから来る。

私はこの混沌としたメソッドを、深い考慮の上で用いている。系統的方法論は、今や助けにならない。なぜなら、頭はそれを自分自身の道具として使うからだ。あるいは、献身的な愛の歌をただ唱和することは、今や助けにならない。なぜなら、ハートがあまりにも重荷を背負っているため、それが本当の唱和に花開くことはあり得ないからだ。意識が源に、根に降りなければならない。その時にだけ、変容の可能性はある。だから私は、混沌としたメソッドを、意識を頭から下に降ろすために用いる。

あなたが混沌の中にいる時、頭はその働きを止める。例えばあなたが車の運転をしていて、突然誰かが目の前に飛び出して来たら、あまりにも瞬間的な反応が必要なため、頭はそれに反応できない。頭には時間が必要だ。それは、どうすべきでどうすべきではないかを考える。だから、あなたが事故の可能性を前にしてブレーキをかける時はいつも、臍の近くに何かの感覚を感じるだろう。あたかも、あなたの胃が出来事に対処しているかのように。事故によって、あなたの意識は下に降ろされた。もしもその事故が事前に推定されるものであったら、頭はそれを処理することができただろう。しかし、あなたが実際に事故に遭う時、何か未知のことが起きている。その時、意識が臍に動くことに、あなたは気づく。

もし禅の僧に「あなたはどこで考えるのか?」と聞いたら、彼は腹に手を置く。西洋人が最初に日本の僧に会いに来た時、彼らは理解することができなかった。「ナンセンスだ! どうやって腹で考えるというんだ?」

しかし、禅の回答は意味深い。意識は身体の中のどのセンターにも使える。本来の源にもっとも近いセンターは臍だ。頭は本来の源からもっとも遠い。だから、もし生命エネルギーが外向きに動いているなら、意識の中心は頭になる。そして、もし生命エネルギーが内向きに動くなら、究極的には臍が中心になる。

混沌メソッドは、意識をその根っこに押し下げるために必要だ。なぜなら、根からのみ変容は可能だからだ。さもなければ、あなたがいくら言葉だけを並べ続けても、変容は起こらないだろう。何が正しいのかをただ知るだけでは充分ではない。あなたは根を変容しなければならない。そうでなければ、あなたは変わらない。

ある人が何が正しいかを知っているのに、それについて何もできない時、彼は二重に緊張する。彼は理解しているけれど、どうすることもできない。理解というものは、それが臍――根からやって来る時にだけ、意味を持つ。もし頭だけで理解したなら、それがあなたを変容することはない。                                                       

究極は、頭を通して知ることはできない。なぜならあなたが頭から機能している時、あなた自身の源である根と衝突しているからだ。あなたの問題のすべては、臍から離れてしまったことにある。あなたは臍からやって来たし、そこを通って死んでいく。人は根に帰って来なければならない。しかし、それは困難で骨が折れる。

伝統的なメソッドが、興味を持たれて来た。なぜならそれらはとても古くからあり、過去にとてもたくさんの人びとが、それによって達成して来たからだ。それらは、私たちにとっては不適当になってしまったかもしれないが、ブッダ、マハビーラ、パタンジャリ、クリシュナにとっては、不適当ではなかった。それらは意味深く、助けになった。古いメソッドは今や意味がなくなってしまったかもしれないが、ブッダがそれによって達成したが故に、それらは気を引く。伝承主義者は感じる、「ブッダがこのメソッドによって達成したなら、なぜ私にもそれが起こらないんだ?」

しかし今、私たちは皆、その頃とは異なった状況にある。環境全体、そして思考の領域全体が変わってしまった。すべてのメソッドは、ある特定の状況に、特定のマインドに、特定の人々に対して有機的だ。古いメソッドが有効ではないという事実は、どんなメソッドも役に立たないということではない。メソッド自体を変化させなければならないだけのことだ。現在の状況を見る時、現代人はあまりにも変わってしまったため、新しいメソッド、新しいテクニックを必要としているということだ。

Osho: The Psychology of the Esoteric, Talk #4

 

 

 

 

 

踊りの瞑想

 

OSHOナタラジ瞑想 — 踊りの中に消え去る —

3つのステージからなる65分間の踊りの瞑想です。

この瞑想のために作られた美しい音楽を聴きながら踊ります。

 

踊りの中に消え去った後で、沈黙と静寂の中にくつろぐことが、このメソッドによっての内側に向かう道順です。

 「エゴの中心である踊り手を忘れ、踊りそのものになりなさい。それがこの瞑想だ。自分が踊っているのを忘れ、自分が踊りそのものだと感じはじめるほど、深く踊りなさい。分裂は消えなければならない。そしたらそれは瞑想になる。
 もし踊りと踊り手のあいだに区別があったら、それは一種の体操だ。健康的で良いものだが、霊的で精神的だとは言えない。それは単なる踊りだ。踊り自体は 良いものだし、それはそれですばらしい。踊った後、あなたは新鮮に若々しく感じるだろう。でも、それはまだ瞑想ではない。踊り手は消えなければならない。 踊りしか残らなくなるまで――。脇に立って、傍観者でいてはならない。没入しなさい!
 そして、遊び心を持ちなさい。<遊び心>という言葉を、いつも覚えておきなさい。私にとって、それはまさに基本的なことだ」 Osho

 

第1ステージ 40分間 目を閉じたままとりつかれたように踊ります。無意識の層が、自分を完全に乗っ取るにまかせます。動作をコントロールせず、また起こっていることの傍観者であってもいけません。踊りの中に、全面的に入り込みましょう。

第2ステージ 20分間 目を閉じたまま、直ちに横たわります。そして、沈黙のうちに静止しています。

第3ステージ 5分間 祝福のうちに踊り、楽しみましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終わった後は、

 

心身、すっきり、軽やかに星空

 

 

 

「血行が良くなった感じがする」

「横たわったときも、寝てしまうかな?と思ったけれど、寝ずに、しあわせな感覚だった」

とおっしゃっていました。

 

 

 

ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

私がOSHOアクティブ瞑想をはじめて10年になります。

体を動かしてからのほうが、心身が緩み、くつろぎ、

自然に瞑想に入りやすくなる感じがします。

マインドでいっぱいいっぱいのとき

感情が乱れているとき

体が知らず知らずにこわばっているとき

美しい音楽を聴きながら1時間のプログラムは、

ひとりでやっても楽しいし、

誰かと一緒にやるのも楽しいです。

 

ご興味のある方は、お気軽にお問い合わせください。