皆さんの心の中には、『ねばならない!』とか『べ きである!』はどのくらい存在していますか?
私は幼い頃から良い子であらねばならない!と言う気持ちがいつもあり、また自分への周りの大人の評価がとても気になっていました。
勿論、成長した今でも私は周りの評価が気になっています。
私は親業を学んだ時に、この『ねばならない!』と『べきである!』が自分の心の中に、かなりの割合で存在している事に気が付いたのです。
妻はこうあらねばならない!とか、妻はこうあるべきである!とか。
母はこうあらねばならない!とか、母はこうあるべきである!とか。
さらに あろうことか、自分自身に対して思うだけではなく、子ども達にも強要してしまっていたのです!
私の子どもはこうあらねばならない!とか、こうあるべきである!とか。
子ども達は、たまったものではなかったと思います。
でも、子ども達は母の期待に沿おうと、必死に頑張ってくれていました。。。ごめんね (ToT)。
この『ねばならない!』と『べきである!』と言う私の勝手な理想が、私自身をそして子ども達をどんなに苦しめていたことか…色々な事がうまくいかなくなって、身動き取れなくなって初めて気付いたのです。
思った通りにいかなかったり、できなかった時、何でできないのよ!とできない自分自身を責め始め、私って駄目な人間なんだ!と落ち込みます。
もっと頑張らなくては!もっともっと頑張らなくては!と自分自身をどんどん追い込んでいきます。
結果、歪みが発生!心と身体はボロボロのくったくた!
するとその思いは、次に「何で私ばっかり!!」と言う不平不満の塊へと成長。。。(>_<")
相手を責め始め、そんな自分が嫌になっていくんです。
この呪縛から解き放たれる方法は、《今の自分自身を認めてあげる事!!!》
と、偉そうに言っていますが、やはり私は『ねばならない!』と『べきである!』は大の得意なんですが、自分自身を認めてあげる事は、苦手なんです。
そんな私自身を認めながら、次回は自分自身を認めてあげる事について書いてみようと思います♪
またお会いできると嬉しいです♪\(^o^)/
有り難うございました (*^-^*)
私は幼い頃から良い子であらねばならない!と言う気持ちがいつもあり、また自分への周りの大人の評価がとても気になっていました。
勿論、成長した今でも私は周りの評価が気になっています。
私は親業を学んだ時に、この『ねばならない!』と『べきである!』が自分の心の中に、かなりの割合で存在している事に気が付いたのです。
妻はこうあらねばならない!とか、妻はこうあるべきである!とか。
母はこうあらねばならない!とか、母はこうあるべきである!とか。
さらに あろうことか、自分自身に対して思うだけではなく、子ども達にも強要してしまっていたのです!
私の子どもはこうあらねばならない!とか、こうあるべきである!とか。
子ども達は、たまったものではなかったと思います。
でも、子ども達は母の期待に沿おうと、必死に頑張ってくれていました。。。ごめんね (ToT)。
この『ねばならない!』と『べきである!』と言う私の勝手な理想が、私自身をそして子ども達をどんなに苦しめていたことか…色々な事がうまくいかなくなって、身動き取れなくなって初めて気付いたのです。
思った通りにいかなかったり、できなかった時、何でできないのよ!とできない自分自身を責め始め、私って駄目な人間なんだ!と落ち込みます。
もっと頑張らなくては!もっともっと頑張らなくては!と自分自身をどんどん追い込んでいきます。
結果、歪みが発生!心と身体はボロボロのくったくた!
するとその思いは、次に「何で私ばっかり!!」と言う不平不満の塊へと成長。。。(>_<")
相手を責め始め、そんな自分が嫌になっていくんです。
この呪縛から解き放たれる方法は、《今の自分自身を認めてあげる事!!!》
と、偉そうに言っていますが、やはり私は『ねばならない!』と『べきである!』は大の得意なんですが、自分自身を認めてあげる事は、苦手なんです。
そんな私自身を認めながら、次回は自分自身を認めてあげる事について書いてみようと思います♪
またお会いできると嬉しいです♪\(^o^)/
有り難うございました (*^-^*)