ハロウィンの飾りが可愛い季節。
あっという間にクリスマスですね。

クリスマスが近くなると、
パートナーが欲しいと思ったりしました。

他の人を見て、わたしもこうだったらよいのになとか。

ところで、パートナーのいる方
パートナーとは、本音で、話ができますか?
一緒にいるとき、あなたは寛いでいますか?


あるいは、相手に変わって欲しい、と思いますか?
このままでは、何か足りない、何かを変えなければいけない、と思いますか?

わたしたちの頭の中では、様々な思いが浮かんでは、消えていきます。思考で疲れ切ってしまうことすらあります。

10代や、20代の頃、女性雑誌の中では、どのように恋人を惹きつけるか、などの特集や、好きな作家の一人だった、森遥子の書いたエッセイなどを読んで、素敵だけれど、とても大変で疲れるわ、と感じたものです。

理想の恋人や、結婚相手を引き寄せるには、どうしたらよいのか、とか。

そして、小説の中の恋は、とてもドラマティックで、そんな恋が自分を訪れると、思っていたような気がします。


ローマの休日、風と共に去りぬ、や、マイフェアレディなどの名画や、ゴーストニューヨークの幻、ホリデイ、ノッティングヒルの恋人、などの映画は、楽しく、夢があり、そして何か恋愛のピュアな部分をみせてくれいて、多くの人から愛されています。

ホリデイは、何度も見ました




私がかつて読んだ、流行りのエッセイの中には、

女性は、ミステリアスでなければならない。

女性から、告白してはいけない。(愛を告げてはいけない)

女性は、控えめの方が愛される。

男性の保護本能をくすぐること。。
(笑)うーん。

いまでもその種の本は、売れているのかな。。

日本のマニュアル教育の中で、恋愛までも、マニュアライズされてしまっていて、そのマニュアル通りに振舞って惹きつけた相手を、どうするのでしょうか。

けれども日本では、世界でも、まだまだ
女性はこうあるべき、という様々な制限が、実在しています。女性は学んではならない、という宗教すらあります。

いつのまにか、母親から、祖母から、家族から、学校から、沢山の教え、が受け継がれ、いつのまにか本当の自分を、見失ってしまっているのです。

女性は25歳までに結婚しなければ、クリスマスケーキのように価値が下がる、なんてことを、今時誰も本気にはしませんが、
それでも、30歳前には、と思うかもしれません。

私も短大の同級生8人のうち、私以外がみんな28才までに結婚したとき、何となく今結婚しなければ、と思って、結婚してしまったような気がします。

思えば、大好きな相手でしたが、別に急いで結婚する必要はなかったのかもしれません。

そこまで、周りと合わせることはないけれど、なにかの呪縛的なものが、はたらいたかも。

女性らしく、と育てられたわけではなかったですが、中学生までは、ベリーショートで、長い髪の女の子に憧れていたりしました。

女らしくあること、が、恥ずかしく、スカートの苦手な、子供時代。

自分のことを、男の子みたいなので、ぼく、と呼んでいた時期もありましたし(笑)
母と買い物に行くと、ぼく、お母さんの荷物を持ってあげなさい、と言われたりしました。

例えば学級委員などをしたりして、目立つことが、なんだか女性としては、損しているような気がしてしたりしました。

女性のだれもが、ありのままの美しさをもっていて、そして、誰もが、自分の中に男性性と、女性性を持っているのですよ、ということを教わったのは、様々なニューエイジ系の本の中でしたが、身近に体験できたのは、オーラソーマの、ポマンダーのワークでした。

自分自身の中の、陰陽、女性性と男性性を、統合する、といったときに、たしかに内なる女性と男性の質を、感じたのです。

誰の中にも、女性性も、男性性も、両方があることは、頭で考えると難しいのですが、感覚として、右脳が女性性、左脳が男性性といったときに、しっくりくる感じがありました。
 
そして、そのあと出会った、ユニティインスティチュートで経験した、ハートからはいる瞑想は、
内側の何かが、ほころんで、沢山の思い込みが、剥がれ落ちるような体験でした。

今は亡き先生であるリーラの、誰もが、一人残らず内側に、美しい本質をもっている、という言葉に、涙があふれたことを思い出します。

そして、アルヴィナの昨年末の、女性性を開くのコースの中では、ハートからはじまるワークの中で、まず自分の内側の女性性と、男性性を再発見してゆくことが、自然にできてゆきました。そこでは、女性だけの、安心した空間の中で、沢山の愛を受け取りました。

前回は、女性であることの強さ、というテーマでしたが、今年は、愛のある関係、というのがテーマです。


楽しみですね。

MIZUHA