昨日、陰陽道の真﨑先生のカラーセミナーに参加させていただきました。
風水の岡西先生とのコラボセミナーから数えると、初めてお会いしたのが3月13日、次が5月15日、そして昨日で3回目でした。
夏に大手術で入院されていたとのことで、お話にはいつもながら重みがあり、深みがあり、時間の許す限りいつまでも学ばせていただきたいなーと思える柔和な笑顔あふれる素敵な先生です。
陰陽道とは、化身すること。
人間は、陰の世界で学び、化身して陽に転ずる。
元気な時に言った言葉はうわごと。元気な時は健康があたりまえだから、真に感謝できているとはいえない。
病気でつらい時、人格が壊れそうな痛みのある時、わらをもつかむ思いで「信ずる」ということ。あたりまえだったことがどれほど有り難いことであったのかを思い知るということです。
夫婦、親子といえども、本当に苦しいことはわかってもらえない。
命は孤独。自分で自分を守るしかない。
その言葉の深い重みが伝わってきました。
家族の会話の言葉づかいが大事。
「うそもほうべん」という言葉があるように、家族が苦しんでいる時、その人が真に望んでいる言葉を、一瞬のスキもつくらずに言ってあげること。
その人が不信になるスキをつくらず、間髪いれずに断言すること。
そうしたら、その人はその言葉にすがって、信じて、変わっていけるのだと。
私が、かつて離婚したらどうなるだろうとばかり心の中でぐるぐる思考がシュミレーションを繰り返し、泣いては同じことばかり考えていた時を思い出しました。9年も前の事ですが。
夫の名誉?のため、あえて言いませんが、私にとって信じがたい出来事があった訳なのでした(笑)
当時、夜中の3時過ぎまで眠気も吹っ飛ぶ夫婦の対話をしました。
私はありとあらゆる不満をすべてぶちまけて、夫に話し、夫はただ沈黙して何も言い返すこともせず、私の話が枯れてなくなるまで、ひたすら聞くばかりの時間がすぎました。
だいぶ気持ちがおさまってきはしたのですが、それでもどうしてもふに落ちない、とどめの一言を言わせようと何度も私は問いただしたのですが、彼はその一点だけは、どうにもこうにも認めませんでした。
それは、まさに「うそもほうべん」だったなーと、思えます(笑)
それを認めたら、私たち夫婦は終わりだと、彼は直感もしくは知識として心得ていたのでしょうか。
泣いて、不満をぶちまけ、醜い醜態をさらけだし、修羅場と化した私たち夫婦の最後の生き残る希望の一筋の光となってくれたのかもしれません。そのうそが。
あんなに苦しかったのは、そこにまぎれもない愛があったから。
私はずいぶんひねくれていましたので、それでも納得できず、とりあえず子どもが成人するまでは我慢しようと、それしか選択できませんでした。正確に言うと、離婚して生きていく勇気がなかったということです。
そして子どもが成人するまでに私自身が自立して生活できる術を身につけ、しゃーしゃーと彼を置き去りにして自由に生きて行こうと、復讐することまで考えていました。そうでないと、現状が受け入れられなかったのです。
今から思うと本当に鬼のような自分がいました(笑)
それでも、「子はかすがい」というように、子どもを育てるうちに、私は自分というものを何とかせねばならないと、強く思うようになりました。
その後も覆いかぶさるようにして、私に未来が描けなくなるような出来事がちょこちょことあり、実母に心配をかけるわけにもいかず、信頼できる友達もいなかったので、誰にも言う宛てがなく、占い師に愚痴をこぼすようになりました(笑)
当時恐ろしいことに、私はある占い師から言われて、「離婚するための日記」なるものをかいていました。
いついつ、こんな事があった、こんないやなことを彼が言った。などという記述が、離婚裁判の時に重要な証拠となるので、書いておくことが大事と言われ、つまらない日常ばかりをつづる暗いこと極まりない恐ろしい日記です(笑)
しかし、あまりにつまらないので、こんなもの書いていたっておもしろいことなど何もないと、ある日目覚め、やめました(笑)
私はこの人と一緒に暮らしていきたいのだから、しあわせになりたいのだと気付きました。
そして、もうわけのわからない占い師のいう事など聞く必要などないと、私は自分の人生を自分がいいと思う事を選択してなるべく楽しく生きていこうと決めたのでした。
今となっては、笑話でブログにだってかけてしまえます。わざわざ、夫婦の恥をさらすこともないのですが、陰陽道の話を聞くとどうしても思い出してしまいますし、同じような修羅場をおむかえの方に、大丈夫ですよ!とお伝えしたくなり、このように公表するに至りました。
が、その時はそれで精一杯生きていたのです。復讐心を持つことで、立っていられるという感覚だってありだと思います。しかし時間がたてば、気付きがやってきます。そして癒される時も必ず訪れることでしょう。
今、大変な状況で苦しい方に、私がお伝えしたいことは、「自分を信じる」という事です。
自分の人生は自分できり拓いていくしかありません。
誰かになんとかしてもらおうというのはもうやめましょう。
そして、誰かのせいにするのももうやめましょう。
自分の命は自分で守るしかありません。
人は陰の世界でしか学べないと、真﨑先生がおっしゃるように、そのつらさを乗り越えた時には、あたりまえの穏やかな何ともない普通の日々が、それこそがまぎれもない奇跡なのだと、有り難いことだと、天に感謝できるきらきらな自分の魂を実感できることでしょう。
私は、以前は、いつも早くに眠ってしまう夫に腹立たしさを感じたり、さみしいと感じたりしていましたが、最近は、私は、今からこのぐっすり平和に眠っている人のそばで寝ることができる、「おやすみ」と小声で言えば、寝言のように「おやすみ」ともごもご言ってくれる人がいる、なんて幸せなんだろうって、一人でにやりとしてから眠っています(笑)
真﨑先生に「あなたは、初めて会った時は、誰よりもさみしそうな背中をしていたけど、今日は誰よりも変わっていたよ。はじめは、サハラ砂漠のようだったよ。女になったね。」なーんてほめていただき、手をたたいて喜びました。
他にも宝探しの羅針盤をたまたま一緒に受講した素敵な女性から、「羅針盤でお会いした頃は、なんかキャリアウーマンのようでしたけど、今日はすごくなんか丸い感じがします。」なーんてオブラートに包んだ上手なお言葉をいただき、ほくほくでした。
自分のことって、案外わからないもので、人から見られている自分って、やはり、思考が変わると、変わっていくのですね(笑)
ここ最近、いろんな気付きと学びが急速になっているような気がして、うれしいです。
真﨑先生から、次回お会いするまでの宿題がだされました。
「いいひびきの世界に私は行きたい」と思うこと。五感にいいことをすること。
私は、そのお題を心の中で繰り返しながら、私って、あんまり外にお出かけしないしな~どうしようかな~と考えているうちに、そうだ、ならば私は自分の家庭の中で、自分が、いいひびきの声を発するようにしようとひらめきました!
そうしたら、なんだかまた泣けてきてしまいました。
家庭の中での私の役割。
いいひびきの言葉を使うこと。態度で示すこと。愛を表現すること。
今日もここまでお読みいただきありがとうございます。