1016日、カンボジア最終日。本日は、カンボジアの貧困層や貧しい子供たちがどのように生活しているのか、そしてあまり語られることの無かった、カンボジアの悲劇を学び、体験しに行ってまいりました。殴られる痛みは殴られた人にしかわかりません。実際に経験することで、少しでもカンボジアの実態を知りたかったのです。

 


 

まずは、水が大切とされるカンボジアにおいて、水を得ることがいかに大変かを知るために、井戸掘りに行ってきました。日本では蛇口をひねればすぐに水が出てきます。よほど水不足にならない限り断水も行われません。

 


 

しかし、カンボジアは違います。自分たちで水を作るために努力しなければなりません。水は全ての生き物に必要なもの。水がなければ人間だけでなく、家畜も作物も枯れ果てて死んでしまいます。そこで、彼らは地面を掘って自力で水を得ています。もちろんタダではありません。様々な道具を使って汗水たらして水を得ているのです。

 




 

私もどれくらいの労力と時間がかかるのか、実際にパートナーの後藤と掘らせていただきました。はじめの数メートルは一人でも力を入れれば掘ることができます。しかし、水が湧き出てくるのは地下29メートル下まで掘り進めてからなのです。

 




 

初めは意外と簡単と思っていたのですが、4メートルを過ぎたあたりから土が固くなり、後藤と一緒に交代で掘りました。さらに7メートルを過ぎるともはや一人では掘れなくなり、地元カンボジアの人や後藤と一緒に掘っていきました。

 


 

結果的に、一日では井戸を彫れないということを身を持って知り、その日は断念したのですが、現地の人達はこんなに苦労して水を得ているのだということがよくわかりました。水が出たあとも大変で、片側重さ20kgもある水を入れたバケツ2つを天秤棒で担ぎ、家まで持ち帰るのです。蛇口をひねれば水が出る日本とは大違いでした。

 


 

私はいかに自分たちが利便性の高い環境で生きてきたかを知り、水を大切にしていこうと心に誓いその場を去りました。未だに満足な水も与えられず死んでいく子供たちもたくさんいるのですから…。

 


 

次に向かった先は、「ある場所」です。

 


 

孤児院での子供たちの生活は、親兄弟はいませんが仲間や友達がいて、貧しくはあるもののある程度守られた環境とも言えます。しかし、孤児院にも入れない子供たちは、一体どのような生活をしているのでしょう。

 


 

私はそのことが気になり、地元のガイドさん達に聞き込みを行ったところ、ある場所にとても劣悪な環境で生活している人たちがいると聞き、実際にこの目で見てみようと行ってきました。

 


 

車で移動すること1時間。あたり一面水田だった道から少し外れて、砂だらけの赤茶色した場所が見えてきました。車を停めて降りてみると、ひどい悪臭が鼻をつきます。原因は道の横に流れている緑色に濁ったドブ川でした。日本では見たこともないような色です。

 


 

そして、ドブ川を辿ってさらに奥へ行くと…子供たちがドブの中で遊んでいます!普通の日本のお母さんなら、飛んできてドブから上がるように叱りつけるかもしれません。しかし、彼らにとっては日常的なことなのか、お母さんも近くにいながら何も言わない様子。もしケガでもすれば破傷風の恐れすらあります。

 


 

これも文化なのかな、と釈然としないままさらに進んでいくと、だんだん悪臭がきつくなっていきます。そしてその先に見えたものは…

 




 

ゴミの山でした。

 

絶句です。

 


 

食べ物、プラスチック、ガラス、金属片、ビニール、それらがドロドロに溶けて汚物にまみれた地面の上をトラックが何度も行き来しています。その山の横に、ドアも壁も何もない屋根だけの簡易的な家が何件もあり、そこに家族が住んでいました。トラックがゴミ溜めに停まると、我さきにとゴミの中から高価なものを探しているのか、30人くらいの老若男女が群がります。しかも、一日中ゴミを漁って得られる対価はたったの3ドル。

 




 

私は言葉も出ず、その場に呆然と立ち尽くしてしまいました。まるで、日本の昔話に出てくる地獄の光景そのものだったからです。不衛生とかそういう問題はすでに通り越しており、人間らしさとは何なのか自問自答したくなるような場所でした。

 


 

私は人生観が変わりました。自分が想像していたもの以上のものを目の当たりにすると、思考が停止してしまうと言いますが、まさにその通りで、私が(私たちが)日常目にしたり、体験したりするようなものと次元が違っていたからです。今までいかに自分が恵まれた環境で生きてきていたか、身につまされる思いでその場を去りました。

 


 

そして最後に、カンボジアの悲しい歴史を学びにキリングフィールドへ行ってきました。これは、ポルポト政権下のカンボジアで、大量虐殺が行われた刑場跡のことですサンテバルという警察機構が、知識人・伝統文化継承者・教師・宗教関係者などを反革命的な者と見なして次々と殺害した経緯があり、後には反乱の恐れがあるだけで次々と殺害されていきました

 


 

入ってすぐにお堂があり、進んでいくと…

 




 

人骨の山です。

 


 

 


 

 


 

これには私も寒気を覚えました。霊感のない私ですが、今立っているところの下にはたくさんの子供の骨が、今も埋まっているんだよと聞かされたときは、悪寒にも近い負の感情が流入してくるようでした。なぜなら、ここで死んだ子供たちは、ただ殺されたのではありません。凄惨にいたぶられた後、人間の尊厳を蹂躙されて殺されたのです。

 




 

ギザギザ状になっているヤシの葉でノコギリのようにじわじわと首を切られて死んだ子。

 


 

木に何度も打ち付けられて叩き殺された子。

 


 

斧で生殖器を切断されて身体の四肢を切り落とされて絶命した子。

 




 

私が教えてもらった限りですが、まだまだこんなものでは無いようです。自由が尊ばれるようになってから数世紀が経ちましたが、先人が道を切り開いてくれたおかげで、現在は残酷な刑死ならぬ虐殺が横行しない世になったことに感謝の気持ちがつきませんでした。

 


 

私は別に、カンボジアのことを引き合いに出して、もっと「良い生き方」をしなければ、などと言う気は毛頭ありません。ただ、知らないで生きるのと、知って生きるのとでは大きな差があるのではないかと考えているだけです。

 


 

今回私は、このカンボジアの悲しい歴史、過酷な環境、一部の貧しい生活を見るにつけ、ラファエラ代表・日本アジア交流財団理事として、後藤と共にできることはないか模索し、実践していきたいと強く感じました。

 


 

帰国後、それをカタチにしていきたいと思います。