美しき音楽と、"意識の置きどころ" と… | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」


今日はちょっと抽象的なつぶやきです🤣





「気づいてしまうとつらい。

気づかないまま人生が終わるなら、
それはそれで幸せなんだよね」


先日友人ととあることを話していた。



「それってさ、アダルトチルドレンと似てるよね。
気づいてからが、なんか地獄だったなわたし」

と返した。





渦中にどハマりして悩みたくっていたとき、何度
「気づかなきゃよかった…」
と思ったことか。



けれど、
アダルトチルドレンとか毒親っていう言葉を知って、
「わたし一人がおかしいわけじゃないんだ」
と、安心したのも確か。



この世はパラドックスなことも多い。

(とあえて書くけど本音は
パラドックスばっかじゃない?
である…🤣)



いかに自分が偏っていたのか
ということに気づいていくと、
"いい" "悪い"
というような、
"どちらか" にせねばならない
という、グレーを選べないことがそもそもの苦しみかも  と気づいていった。



だから、
"どっちでもいい"
にもっていけるよう、
2013〜2014年ごろかな、
自分をまずしつけた。



過去記事を読んでもらうとわかるように、
そのためにも2013年の今頃はとにかく
"許す"
ということをし、
"許す" 
について考え、自分なりにつかめるようになるまで追求した。



自分を許し受け容れ、

許し受け容れられないことすらも許し受け容れ、

どっちでもいい
にもっていくと、

その後の判断がとてもしやすくなった☺︎



ジャッジも減った。



自分がどんなものさしを持っているかがよく見え、
そのものさしの違いが、争いになったりすることもよく見えるようになった。



そして、
そのものさしの奥に、
各々の大切な価値観が隠れていることも見えるようになり、

結果、
セッションの腕を上げることに繋げられた気がする。









"どの角度から見るか"
によって、見えるものは変わる。


写真も同じ。



花に焦点を合わせるのか、
タルトに合わせるかで
見え方、
見たものが感じるストーリーがグッと変わる。



こんな当たり前のことなのに、
わたしたちはなぜか忘れてしまうものなのだろう。



だから、
他者がいるんだと思う。



"問題"
と思えるようなことが日々起きるのだと思う。








自分がどこに焦点を合わせているのか、
どこからものを見ているか
をつかめるようになることは、
自分が望む人生を送りたいと願う場合は
とても大切だと思う。



これは、セッションやコンサルなどする職業をしている場合、必要な視点だと思う。



自分自身の焦点の置き場をつかむことはもちろんのこと、

クライアントの焦点の置き場を会話の中でつかみ、
クライアントの言動や行動の真意を理解すること、

そして、
クライアントが望むところへと導くために、

クライアントの焦点の置き場を、
わたしたちがコントロールするのではなく、クライアントが自発的に移動できるように上手に導くこと。



これは、必須であるとわたしは思う。



しかし、
これはとても難しいことでもあり、
ゴールがないものだと思う。



だから、
日々努力をしている…
つもりである。









話は変わるけれど、



なぜその思考になっている?



その会話になった?



なぜその言葉が今飛び出た?



うわべではない、
自分の奥、
自分のでところ
(とある生徒さんには "自分が無意識につかっているプール" と例えたことがある)
を意識できる友人との会話は、
おかしな遠慮がいらない。



同じ師を慕っていた過去、
だからこそ同じ思い、視点を持てていること、
こうして大切な人生の時間を重ね会えること
を心からうれしく思う。



彼女との会話は、
自分ごと  ってわかった上で(責任取る上で)
それを話してるんだよね

って、互いに信頼し合えているのがわかるからざっくばらんにわたしは話してしまう…🤣



二人とも、
今でのその師がだいすき。



わたしに限っては、
考えない日はここ数年ないほど、
感謝しています。



厳しさ
という愛を教えてくれた人…










なぜその思考になっている?



その会話になった?



なぜその言葉が今飛び出た?



と、自分の内側を深く意識できるものは、
より人生を自分らしいように創作していくのだと思う。



どこからものを見ているのか
が、自分のことなのに自分でわからないものは、
周りの考えや発信に流され、
自分らしい人生をつくれない。



かつてのわたしがそうである…


"意識の置きどころ"



それを制するものが、
自分の人生を制する。



つまりは
"在り方"
がやはり大切ということ。



そんなことを思いながら、
来年から思いっきりセッションのスタンスを変えようか…
と考える。



自分で考え、
自分で選択し、
その結果を誰のせいにもせず自分で引き受ける。



誰かに頼るな
という話ではない。



頼っても、OK!



しかし、
選択し、決めるのは、いつだって自分
ということ。



これができなくては、
人生の本当の喜びはおそらく感じられない。



それにはやっぱりいつだって
「わたし、今どうしたいの?」
を、自分でつかむ力がなければ、
自分を生きること
は難しいのだと思う。








余談だけど
何年か前から好きなpiano guysのこの楽曲、YouTubeで今更初めて見たのだけど、あまりに美しくて泣きそう😭



グレイテストショーマンのサントラもってるし、映画館に初めて二回も見にいった映画だった笑



この2つはずっと好きで、たまに見ちゃう😍



スヌーピー好きは母の影響。
かといって、グッズとかは集めてない笑
スヌーピータウンでかかっててこの曲好きだった☺️




1D流行ったよねー!!



わたし、レペゼンも好きだし笑、
EDMも好きだし、洋楽はミスドでバイトしてた19歳の頃からずっとすきだし、
中学の頃はクラシックばっか聞いてたこともあればX JAPANにどはまりなこともあったし、Dragon Ashに衝撃を受けてだいすきだった時もあれば、
大学のときはジャズピアノを習っていてお店で弾かせてもらっていたりもしてて(とても下手だったけど😭ジャズは聞く方!って決めた…)。

このブログでもおなじみ シュローダー もだいすきでライブはかなりの頻度でいってるし、
だし、大学のときはレフレールとかにもハマって。
安室ちゃんの生き方と在り方がリスペクトすぎてライブDVDめちゃ見るし で、
幅広くたのしんでいるタイプ🤣

みなさんの音楽事情はどうですか!?









5歳からピアノやってたからか音楽は好きだったけど、

音楽の美しさに人目をはばからず心を震わせて涙できたり、音楽に身を委ねて体揺らしたり、音楽にただ意識を委ねたり、

べきべきとうるさい思考、
正解探しを外ばかりにして、
自分の内側の感覚は無視、自分の感覚すらわからないから信じられない  という、依存ロボットみたいな心から、

自分の感覚を大切にでき、
自分が感じられること、
感じることの豊かさ
を味わ得る心に戻せて、本当によかったな☺️






この世界には、美しいものがたくさんある。



頭でっかちな人生だったから気付けない期間が長くて、ホントつまんなかったな って思うけれど、

アダルトチルドレン
って気付けて、

この人生を手にできたこと、
本当によかった  って思う☺️



冒頭の話をしていた友人もそう言っていた。



「この人生にできたもん!
気付けてよかったよー!!!」
って。



ね☺️





どんなに心踊らないときがあってもそれに引きずられず、

これからも、
心踊る方へと無理なくわたしを戻せるわたし
でありたいな。



大好きな音楽にふれたり
大好きな映画に触れたりもしながら。



音楽も映画も
結局は親のおかげで興味もてたしね🤣





この世に無駄なことなど一切ない。



そう決めて、
そう生きればそうなる。



そう決めなかったから、
これまでの人生の価値を
自分で見出せなかっただけだった☺️



全部自分、
どこに意識を置くか。



わたしは
必要必然ベストな生き方を

わたしが決めたわたしの在り方を

これからも心がけたい。