わたしたちは、誰しも誰かの子どもであり、誰しも親という存在をもっています。
”わたしたちは、生まれてまもない頃、三日間ほど放置されたら死んでしまう。
あなたが今生きているのは、誰かが手をかけ、愛してくれた証拠なのよ”
とかつてお世話になった方に言われたことがありますが、幼少期、親がいないと一人では生きていけないのは、おそらく本能で分かっているのでしょう。
小さいながらに、親の顔色を見て、嫌われないよう、好かれるようにしているのは、生存本能の延長でもあるのではないか?とわたしは思っています。
また、子どもは親から認められたいと感じるものなのか、子どもが母親に
「見てみてー!」
という姿をよく見かけませんか?
子どもにとって、
”褒めてもらう”
というのは、
”愛されている”
”認めてもらえている”
”受け容れてもらえている”
というのが伝わりやすく、
”このままでいい”
”存在してもよい”
という安心感を与える行為なのでしょうね。
ハグもそうかもしれません。
「褒められた記憶がない。
勉強も仕事も、すごくがんばってきた。
でも母は褒めてくれなかった。
ずっといい子をして、がんばってきたのに…」
「お前はダメだ!と母からは否定ばかりされてきた。
どうして褒めてくれなかったんだろう。
母親になったわたしは、かわいい我が子のことをたくさん褒めてあげられているのに」
「抱きしめられたことはあったんだろうけど…覚えていない。
もっと抱きしめて欲しかった」
「わたしは ”いない子” 扱いだった。
存在がないものとして、育てられてきてた。
女の子だったからだと思う」
「母はわたしにだけ意地悪だった。
今もそう。
どうしてこんなことを娘に言えるんだろうと不思議でならない。
許せない」
「気に入らないことがあると、いつもわたしは殴られていた。
そんな母は、父から殴られていた。
母は隠れてわたしを殴ってた。
痛かったし、怖かった。
殴られないように、妹や弟のお世話をがんばったけど、小さいわたしはうまくできなくてまた殴られた」
「うちは放任で、構ってくれなかった。
過保護なおうちが本当にうらやましかった」
「母の気にいることをしたときにだけ、母は笑ってくれた。
だからわたしは、母を笑わせようと、必死で家の中でピエロをしていたんだと思う」
「両親は早くに離婚しました。
わたしは、女手一つで育ててくれた母を支えなきゃと一生懸命だったんだと思います。
でも、結婚を機に、なんだかおかしいと気づいて、距離をおきました」
「いつも人の愚痴ばかりいう母親が本当に嫌だった。
わたしはいつも笑って母の愚痴をちゃんと聞いてきたけど、ただのゴミ箱役だったんだって思った。
それから母が許せなくなり、かわいい我が子を母親に抱かせたくないと思ったから、里帰りはしなかった。
あの人は自分のことしか考えてない」
これらの話は、クライアントから聞いてきた話ですが、子どもというのは、(生きていくためだとしても)親の愛情がほしくて、純粋で、素直で、一生懸命。
幼き頃(大人になってからもですが)欲していた愛情が親からもらえていなかった(もらえていない)と感じる出来事が多いと、
”わたしは愛されていないんだ”
と変換されてしまうことがあります。
それでも必死にがんばるのですが、その変換が一定数を超えると、その他の人間関係もうまくいかなくなり、不満といった未完了な感情がたまっていきます。
そんなとき、
”毒親” という言葉に出会うと、
”親” から ”毒親” へと変換されるとわたしはとらえています。
notebook work
・あなたは、どんなふうに親に愛してほしかったですか?
・あなたは、どんなふうに親に愛してほしいと思っていますか?
・あなたが ”愛されている” と感じるのは、どんな行為ですか?
HahaCo Labo
母娘関係研究所
代表 加藤なほ