・わかってほしい根本の気持ちと、他人はそれに気づかせる鏡でしかないことと | 加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

加藤なほ 「"毒親育ち" からの人生改革」

毒親育ち、アダルトチルドレン、恋愛依存(DV)などの実体験を元に、"わたし" を生きる方法を伝えています。
▶︎セッション実績…2013年〜 5000件以上
▶︎メディア…NHK(クローズアップ現代+/あさイチ他)/朝日新聞/他多数。
▶︎著書「ワタシの母は毒親でした。」



ほしいのは、
”お母さんと仲良くなりたい”
ってことじゃない。

ただ、本音をわかってほしいだけ。
そして、本音をわかりたいだけ。

それを、”仲良く”というのなら、適切なのだろう。


”お母さん、あのときああされて、わたし悲しかったよ
お母さん、あのときこうしてくれなくて、わたし寂しかったよ”
を、わかってほしいの。


わたしの悲しさをわかってよ!
わたしの寂しさをわかってよ!

悲しさと寂しさが多すぎると、怒りで蓋をする。

悲しさと寂しさが多すぎて、生存の危機を感じるから。

悲しさと寂しさを見ちゃうと、苦しくなるから。

だから怒りを持ち続けることで、悲しさと寂しさを見ないようにする。


しかし怒りも多すぎると、怒り続けるのも疲れる。

怒っちゃいけない  っていう思い込みを持った人もだけど、怒りすらわからないように、自分で自分を麻痺させる。

怒りの上に、さらに重しを乗せて、自分をごまかす。

親子関係、母娘関係、毒親の悩みも、
他の人間関係でも、
つまるところこんな仕組みだし、最終的にはここ、親に落ち着くことがほとんど。


悲しさと寂しさに気づく必要がある。

怒りを出すのは、それに気づくため。

たくさん泣いて、感じて、浄化させてあげる成仏させてあげる完了させてあげること。

でも、それって楽じゃない。

そんなものが自分にあるのを認めたくないと無意識に感じてしまうのだ。

認められると、そこからの変化は速いんだけどね。


でも、観る覚悟が決まるまで、認めるまでは、個々の差がある。

そして、観るまで、認めるまでいろんな出来事が起きる。

母への怒りがある人は、母ではない、イライラさせる人を、ちゃんと用意している   というように。

出来事が勝手に起きてるようで、

自分の無意識さんが、あなたの中のちびの気持ち、”悲しい寂しい” に気づかせるために、起こしてるだけなんだけどね。

つまり、自分で引き起こしているんだよね。

パーフェクトだよね、自分って、宇宙って、無意識って。

それ、気づいて、あなたがあなたを観てあげて と、本当に思うよわたしは。





日曜、東京での昼下がり。

出会って1年以上になる20~50代のみなさまと、月に一回の講座。

Yちゃんに届いた、お母さんからの手紙を、Yちゃんがみんなに見せてくれた。


そこには、お母さんの本音が嘘偽りのないであろう言葉でつづられていた。

会ったことのない人からの手紙なのに、読んだみんなが涙ぐんだ。

読んだみんなが、「よかったね 涙」といった。

そのくらい、

Yちゃんの母は、Yちゃんの母なりに、Yちゃんのことを想っていたんだってことが、私たちにも伝わったからだと思う。
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隠し撮りしちゃった。



みんなみんな、お母さんが大好き。

お母さんも、みんながだいすき。 

たったそれだけなのに、それだけのシンプルなことなのに、生まれる前からそばにいすぎて近すぎて、

”わかってるでしょ、そのくらい!”
”わかってよ!お母さんでしょ!”
”娘でしょ、わかりなさいよ!”
と、すれ違ってしまうことがある。

大好きな人ほど、うまくいかないことがある。

大好きな人ほど、わかってもらいたすぎることがある。

大切な人と、大切なことを、話したい。

わかり合いたい。
分かち合いたい。
だから、悩む。

うまく、分かり合えなくて、
うまく、分かち合えなくて。


どんなに怒りを持っていても、完了させたら、Yちゃんのようなミラクルが必ずまっている。

そこには損とかなくて、体験した人だけがわかるめちゃくちゃすっきりした世界なんだ。





話はがらっと変わりますが、

最近は減ってきたけれど、わたしの過去の経験上、親との関係の相談を受けることが多いのだけれど、

そもそもどんな悩みもみなさんご存知の通り、親との関係にたどり着くことが多く(思い込みは、親との関係で持つことがほとんどだから)、

この手の仕事をしている人は経験があるかと思うのですが、相手がわたしに、ご自身のお母さんを投影してくるケースが何度かありました。

おそらく、わたしに何らかの期待をしたのだろうけれど、

そしてそれは、過去、その方たちがお母さんにした期待ととても似通っているのだろうけれど、

それに気づかなかったわたしは、相手の期待を裏切ったのだろう、相手を傷つけたのだろう、憤慨されたり、去って行かれたりもしました。

憤慨されたり、去って行かれたりしてから、

「あ、お母さんとわたしを重ねられてる」
って気づいてたんですが、

何度か体験すると、憤慨される前にうすうす感じる術を身につけたんだけど、でもわたしは、

「わたしはダミーだよ。
わたしは鏡にしかなれないんだよ」
と、相手に言えなかった。


言えるわたしでは、なかったんだと思う。

言えないってことは、それを肚に落とせてなかったんだと思う。



そしてもう一つ言えることは、

”わたしはお母さんをしたかったんだろう”  ということ。

逆を返せば、わたしにとってはその人がダミーなわけでしょ?

わたしが創り出しているのだから。

ということはやっぱりさ、わたしはお母さんをしたかったのだろう  と思うのです。


「なんでお母さんしたかったのかしら?
わたしも相手に何かしらわかってほしかったんだろかね~」
って思ったけれど、今、改めて考えてみたらね、

わたしは、わたしのお母さんの気持ちをわかりたかったのかもしれない」
って声が聞こえた。

それ聞いて、

「あ、そっか、確かに、”あぁ、またわたしお母さんしてるわ”って感じた時、もうっ、そんなに全部わかってあげれるわけないでしょ!

いい加減にしてよ!!

わたしだって不完全な人間なんだからヾ(。`Д´。)ノ」
と思ったことが何度かあるわ と思い出したよ。


そっか、わたしはお母さんの気持ちをわかりたかったのかもしれない。

わたしのお母さんは、

幼少期、今とは真逆でお調子者だったやかましいよくしゃべるわたしに対して、

こう思ってたのかもしれない。



最近個人セッションをしてると、

「NYの飛行機でのこと、聞いてもいい!?」
って詳しく聞いてくれる方が多くて、ご自身としっかり向き合いたいと思ってらっしゃるんだなってうれしく思うの。

ただの興味の人もいるかもしれないけど、それでもいいのね。

でね、その体験から出てきたもの、思い込み、わたしがしたことを話すだけで1セッションになるくらい、濃ゆい体験だったの。

NY行きの飛行機でわたしががっつりみた、

10月からぷす~っと現しはじめた、わたしの中にあった新しい闇は、おばあに基づくものばかりだったんだけど、

出国前日に会ってた弟から聞いたおばあの話にもシンクロしてて、もう自分の宇宙の力(無意識さんのことです)の完璧さに、後で感動したよね。

で、飛行機の中でがっつり闇を見たとき、いろんなものがスーッと流れていくのを感じたの。

”大きな許しが起きた”

とブログに書いたのは、そのことなの。

もう、すごく感動的な体験だった。

そのときにたぶん、いくつかのものもついでに流れたようで(手放せたようで)、そのとき、わたし、お母さんになるのもやめれたんだと思う。


だってね、

わたしにもやつく人に対して、もやつかなくなったもん♡

前のわたしだったら、ちょっと警戒モードになってたはずなんだけど、これらの記事はもう、うれしすぎてニコニコ通り越して、ニヤつくしかない。

↑部品と話せるようになったのいい感じ~♡
それ、なぎさんの声だし部品と話してるようで、セルフトークみたいなものだよね♡

講座卒業生さんのブログです。

わたしへの大作ラブレターであり、母姫への大作ラブレターでもあるよね。

読んでもらったらわかる通り、わたしはダミーにしか鏡にしか、なれないのです。

わたしの文章にもやつく人は、わたしがつづる文章が鏡ということなのです。


わたしに直接伝えてくれていて、かつ、内観してくださってたからIメッセージで伝えてくれてたこともあって、わたしも受け取りやすかったのもあるけれど、彼女の開示をニヤニヤして聞いてられる自分がうれしかった。

「お母さんもうしなくなったな、わたし」
って、確認できて、うれしかった。


彼女がブログに開示することで彼女の成長になると思ったし、彼女の魅力が溢れるに決まってるのもわかってたし、

何よりわたしへのラブレターだってわかってて、それを読みたくて書いてといった、このわたし。

ごめんね♡両思いだから、仕方ない♡



それにしても、⑦はいつでるんだろかと待っているこのわたし♪

Aちゃんもきっと、わたしと同じことを思っているはず 笑

こんなに素直でおもしろくて魅力的なのに、おはなしかい無料って、いくらなんでももったいなさすぎる…
と思うわたしです。


後半なぎちゃんへのテロ的な、わたしからのラブレター記事でした♪