突然キッチンで思い出した…!
ことを書きます。
絶縁宣言食らって家を飛び出て2年近く、
親とは物理的な距離をとったものの、心は不安定ですぐぐらつく状態で、
「自己肯定感の低さが原因なのはわかってる…けど、どうしたら高まるのかわからない…」
と、自分の気分の浮き沈みに、
不機嫌病(なほ命名。意味:3ヶ月ごとにくる激しい自己嫌悪。その谷の深さは日本海溝と呼んでいた)に、
かなり悩んでいました…
今思えばわたしはいい妻を演じてました~…
理由:見捨てられ不安!
私は実家に2度と帰れないから、この人がいなくなったら一人ぼっち…と不安があったように思いますです。
”正社員で働いてて(稼げて)、家事も全部やって、夜は出かけず、友達と会うのは昼間だけ。毎日夫の帰りを待ついい妻”
をやってました。
完璧主義過ぎた頃デスネ。
その頃の私を具体的に書くと、
洗濯物を入れるカゴがいっぱいなるだけで、
「早く洗濯しなきゃ」
とイラつき、
髪の毛が一本でもフローリングにおちてりゃ気になりすぐクイックル、
靴を下駄箱にしまわず常に数足出したままの旦那にイラつき、
週末に、旦那が起きるのが遅くて、午前のうちに掃除機がかけれないと不機嫌になり、
どんなに偏頭痛がつらくても洗い物をせずに朝を迎えたりした日にゃ半端ない嫌悪感に襲われ、
ちょっとでも私と違うやり方をする夫(掃除機する部屋の順番が違うとか、ここでその皿使う!?みたいなこととか、そんな小さなことで…)に対して指図をし(これは母とそっくりで、ますます自己嫌悪…)、
毎日ご飯を食べながらテレビを見る夫に、週に2回はテレビ見ないでご飯をたべるようにしろと文句を言い、
こんなことがたまりにたまり、
「なんでわたしばっかりがんばらなきゃいけないの!?
わたしは料理頑張ってるのに、なんでこの人はテレビ見て笑ってるわけ!?」
といらつき、
2年近く、私が料理してる間はテレビを見ない!という、今思えばわけわからんルールを押し付けてたり…滝汗
夫は
「おれ、手伝うよ?」
といってくれてたのに、
「大丈夫!」
とはりきる私。
それは、愛ではなく、捨てないで という恐れからの、いい妻気取りだったんですよね。
どこか我慢してるから3ヶ月ごとに爆発し(これが不機嫌病)、
なんで不機嫌病なのか自分もわからんし、夫はさらにわからないよね。
そんな私を見て、夫も次第に不機嫌になっていくし、
「こんなんじゃ捨てられる
こんなんじゃ離婚される
でも自己肯定感が高まらないよ、助けて…」
そんな2年間…
…どんな嫁じゃ。
…どんだけ自分に厳しかったんだ。
…どんだけ生きづらかったんだ。
今じゃ考えられない(笑)
だって今は、
仕事に夢中になり、寝るのは3時4時当たり前(平日は7時に起きてます)、
洗い物を次の日の朝してる率かなり高いし、
髪の毛も人さえ来ない日なら落ちてても気にならず、
洗濯物がたまってても満タンになってから洗えばよか~ くらいだし、
仕事も遊びも区別つかないくらい仕事も遊び感覚で楽しいけどでも、
仲間と会う時間もめいっぱいとりたいしで、
毎日楽しいことばっかりでエネルギー使うから夕飯後はうとうと寝ちゃうし
でだいぶゆるまってきた…
どこかいっぱい我慢して、「夫のため」とか思いながら実は捨てられたくなくて自分のためで、
自分犠牲にしてぶっ壊れるまで家事やって凹んでお風呂で一人毎日泣いて。
そんな人が誰かを幸せにできる訳が無いのに…
満たされてない人が、他人を満たすことなんて無理なのに…
「わたしがんばってるでしょ」
「ほめて」
を母ではなく今度は夫に無意識に求めてた~。
当時よく、
「わたしこんなにやったのっていうアピールがうざい」
とよく夫に言われていた…
そんなことをふと思い出し、
やりたいことやって、
好きなことして、
自分が満たされて、
自分のこと好きになってはじめて、
人を深く好きになれたり、
誰かを応援したり、
誰かのためにがんばれたりする
と改めて先ほど思いました。
十分がんばってきたいい娘のみなさん、
お母さんのためにがんばらず、
自分の人生を生きてください^ ^
罪悪感に苛まれることも、はじめのうちはあるかと思います。
でももう、幸せになってもいいんです(過去記事)
罪悪感に悩むときも、
自己嫌悪で毎日がしんどい時も、
何に対してもやる気が出ない時も、
わけもわからず涙が止まらない時も、
思わず死にたくなる時も、
自分が誰だがわからなくなってしまった時も…
お話を聞きます。
全部、私も味わいました^ ^
あったものです 爆
1つ前の記事参照。
これ撮ったの母。
こんな娘を撮るなんて、どうかしてるわ(笑)
こんな孫の写真をアルバムにはってる祖母も、どうかしてるわ(笑)
ほんでは3時なので、おやすみなさい。
なほ