小学校低学年の頃、どうでもいいことで悩んでいたことが多かった私。
スーパーに連れていかれては、お年寄りで足腰が弱そうな人がいれば、
「あぁ、あのおばあちゃん長生きしてね」
と願い、家に帰ってからは寝る前に自分ちの仏壇にそれを願ってた・・・
よその人のことを、自分の御先祖様にお願いするなんて、
きっとだめですよね。
小学校3、4年生の頃は、死がとても怖かった記憶があります。
眠る前になると、
「死んだらどうなるの?私はいい子じゃないから、地獄に落ちちゃうの・・・?
地震がきませんように、火事が起きませんように、雷がおちませんように・・・」
と、布団の中で手を合わせて必死に祈ってから寝ていました。
戦争映画を見れば、怖くて怖くて仕方がなかった。
ちょうど、イラクのあたりでは戦争の真っただ中で、
戦争をするフセ○ン大統領が大嫌いだった。
21世紀大百科という本がはやっていたんだけど、その本の「戦争」というページにのっていた、
子どもを守りながらおびえた表情をしているベトナムの女性の写真が今でも忘れられません。
環境破壊にも小学校低学年の時から真剣に考えて、
地元の山が伐採されて建物がたっていく風景に悩んだことも・・・
幼い頃に、こんなことを真剣に悩んでいた私は一体何だったんだろう って、
今は思います。
でも、当時は本当に真剣で、家では神経質で、びくびくする子どもでした。
大学生になって、小学生の学習指導のバイトもしたけれど、
子どもって、とっても無邪気で元気いっぱい。
私の幼い時の姿とは全然違っていました。
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ちなみに
この後わたしはどうなっていったかと言うと…
この記事を書いた2年後より、わたしの人生は大きく変化していくことになります
”毒親の囚われ” から
自分を解放することができ、
「人格変わりすぎ笑」
と友人から言われるまでに(笑)
自分の人生、本に書かれていたり、いろんな方がおっしゃっていたりするように、
本当に本当に自分次第でした
2022年 年末の加藤なほより