HahaCoLabo 加藤なほ 『毒親育ちだからこそ幸せLIFE!毒親育ち・アダルトチルドレンを卒業する方法』

毒親育ち、アダルトチルドレン(AC)、生きづらさ、機能不全家庭、母への殺意、絶縁、恋愛依存(DV)、自分嫌い… 様々な体験から自分を変えたメンタルコーチ 加藤なほが伝える、母娘関係から自分を変える方法。


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1983年生まれ、名古屋在住。



2013年12月に独立後、

2014年3月に朝日新聞、

7月にはNHKあさイチら2016年には読売新聞「オトナの親子」、

その他インターネットメディアにも取り上げられ、全国、海外にもクライアントがいる。


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↑NHK あさイチさん






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人気の秘密は、過去の経験から今への変化の過程にある。

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幼い頃から生きている意味がわからず、自信がもてないまま大人になる。



2009年10月、自身の生きづらさを生み出す原因が親子関係にあったと気づき、親を罵倒する日々が1年続く。



何をしていても込み上げる親への怒りに、「親を殺すか自分が死ぬか」まで精神を追い詰められ、2011年2月、親と絶縁。



2012年4月、オアフ島にて勝手に結婚という選択を取る。 

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しかし、親と絶縁しても消えない生きづらさに悩み、精神科やカウンセリングにも通い、自分と向き合うことを決意。







2年という時を経て、2013年には絶縁解消を解消するも、なかなか母を許せない日々が続くが、2015年5月、母親との関係が解消。



母との間にあるなと感じていた最後の氷が溶けたと感じた時の様子は、こちらに↓


≫急遽実家に①

≫急遽実家に②

≫急遽実家に③

≫急遽実家に④



過去記事目に見えてわかるここ10年間のわたしの変化はこちら


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そんな、どん底期から回復するまでを赤裸々につづるブログ記事に共感し、

苦悩しながらも自分の人生を生きていく姿に希望を感じる20~60代の女性からの支持を得て、今に至る。


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わたしの人生がこれほどまでに変化したのは、《わたしを導いてくれた、5人のメンター・師匠との出会いがあったから》です





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◼︎著書「ワタシの母は、毒親でした。」
〜アダルトチルドレンの娘と過保護で過干渉な母の6年間戦争〜
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◼︎「母娘問題 オトナの親子」
P119に  ”「親から否定」体験語り合う 自信を持つきっかけに” に掲載されています。


 

 



【経歴】
22歳:大学卒業後、一人暮らしをしながら大手学習塾の一斉授業の講師として働く。

 


23歳:予備校にて、学習指導以外のすべての業務(受付・事務・営業・生徒管理・広告・経理など)に携わる。
プライベートではDVを経験。



25歳:プライベートではDVから逃れ、しぶしぶ実家に戻る。

カウンセラー養成講座に通い、心理学にのめりこみ、機能不全家庭育ちの毒親もちのACであることに気づき、苦しい日々が始まる。



26歳:カウンセラー資格を取得。



28歳:法律事務職員として働く。



30歳:もろもろとってきた資格や学び、自己の体験を融合し、カウンセラーとして独立。



 







こちらにもプロフィールを書いていますが、 さらに詳しく知りたい方はこのまま読んでみてください。




【親に支配されていた人生だったと気づくまで】


幼いころのビデオを見ると、私は歌ったりおどったりするのが大好きなお調子者でした。


しかし、保育園、小学校と、社会へ出てみたら、おとなしく聞き分けのいい「優等生」に変身。



中学では学年トップの成績をとり続け、運動もそこそこで、周りの期待を裏切ることなく、地域で一番の公立高校に入学。


「これで母親も喜んでくれただろう…」と燃え尽きた私は、恋愛と学祭に突っ走り、勉強がまったくできない子に…



しかし、奇跡的に国立大学の教育学部に現役合格。


母は、「娘は教員になるものだ」と思い込んでいたようです。




そんなわたしの人生は、その後一気に崩れ始めます。

 
教師にならずに塾講師になるという私を、母は許さず、大学の教授に説得に来てもらったほど…



社会人になって勤めるようになってからは、人生で初めての挫折というものを味わい、泣きながら仕事に行く日々…


そんな不安定な心の状態の中、勤務時間が15時間を超える日も…


そして、プライベートで経験した恋愛は不・倫、その後の相手からはDVを受け、レイプまがいなこと、言葉の暴力は日常茶飯事。




「どうして幸せになれないような人とばかり、付き合ってしまうのか…どうせ私は幸せになんて、なれっこないんだ…」

と思いました。




なぜ、DV被害にあったのか、

なぜ男運がないのか、

「もしかしたら、私に原因がある?私がおかしい?」

と、理由が知りたくて、とあるカウンセラー養成スクールに入りました。



そこで出会った私の心を揺さぶる言葉が私の人生を変え始めることになります。



「自分の人生の地図は、自分で描くもの。誰かのために、描いていませんか?」

 
…自分の人生を描いたことなんて、一度もなかったことに、気づいてしまいました。

 



そう、いつもいつも、最後は母の言いなりの人生。


母の言うとおりにしていれば、結局うまくいってきたし、うまくいくものだと思って生きてきた。




自分のこれまでの恋愛に、母との関係が大きく影響していたこともわかりました。


私は、「男がいないと、生きていけなかった」っていうくらいに恋愛に依存して生きていました。
 



母親との関係を見直し、母親が毒親であること、自分は機能不全家庭に育ったアダルトチルドレンを受け容れるまで、かなりの時間がかかりました。

 


受け容れた後は、母を罵倒する日々が続き、当時、親のことを相談しても、

「そんなこといっても、親でしょ?感謝の気持ちはないの?」

「勝手に結婚して、子どもできたらどうするの?里帰りできないよ」

「あなたのお母さんがそんなひどいの?信じられない~」

と友人や恩師から言われ、誰も理解してくれないと感じていました。



自分がおかしいのか、母親がおかしいのか、何度も何度も悩み、誰か助けて…という思いで、毒親から逃れ結婚するまで、こちらに相談していました。 




私は母と絶縁し、家を飛び出ました。





【結婚生活への影響】

夫の両親のみを連れ挙式し、夢であったカウンセラーになりたいと思ったけれど、

根本的に解消しない毒親問題やアダルトチルドレンという悩みは消えず、日々を心から幸せだと思うことはできませんでした。



不機嫌が続く「不機嫌病(なほ命名)」が長いこと続き、そのたびにうんざりしていました。


このサイクルがあまりに苦しく、

「こんな私じゃ、いつか夫に離婚される」と、自分を責める日々が続き、

「もう、自分の内観だけでは限界だ…」と判断しました。


そんな中、「あ、わたし、ACぬけた…」と涙ぐむ出来事があり、ACを克服したのを感じ、定期的にやってきていた不機嫌病も、なくなったんです。



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さらに詳しい成育歴はこちら↓

≫プロフィール①幼少期~大学生まで 

プロフィール②社会人~毒親育ちのACと気づいたとき

≫プロフィール③毒親との対決~今  




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